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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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「ゴー!ゴー!若大将」空から赤坂田能久の物干し台を見てみよう

前回「ゴー!ゴー!若大将」の田能久の物干し台ロケ地は、
港区赤坂3-11の赤坂ベルゴ豊栄辺りだろうと大雑把なことを書いたところ、
「麻布田能久」の御主人から「昭和38年空撮で物干し台は写ってませんか?」
とのご指摘を受けました。




もう一度、おさらいしてみましょう。
若大将が外堀通りを赤坂見附方向から歩いてくる時、後ろに「アオイ」という看板があり、
左側の白い塀の建物「てんぷら初穂」角を曲がります。







アオイは現在「葵ビル」が建っているところ。葵ビルの隣が赤坂ノアビル。
「てんぷら初穂」があった場所が赤坂ノアビルとなり、
住友生命赤坂ビルと「てんぷら初穂」の間の道を入って行ったのは、
まず間違えはありません。

 

ストリートビューでみてみましょう。
この道を入って行きます。




外堀通り側は工事中なので一本内側の道路からみると、こんな感じです。
これ、もしや私道ではないでしょうか?



物干し台に上った若大将の左後方のビルディングが住友生命赤坂ビルです。
外堀通りから住友生命赤坂ビルの横を曲がり、二本目の道が田町通り。
三本目の道がみすじ通り、四本目の道が一ツ木通りです。

一ツ木通りは元々は商店街。田町通りとみすじ通りの間が料亭が多い一角でした。





「麻布田能久」さんの助言に従い、以前、荻窪東宝さんに教えていただいた「goo古地図」をみてみました。

昭和38年の航空写真で赤いカーソルを合わせたところが、
赤坂でいちばん敷地が広い料亭「中川」があったところです。
昭和57年(1982年)に廃業し、現在、中川ビルになっています。

その一区画北側、みすじ通り沿いの角が田中角栄が良く使ったという「千代新」です。

赤坂の「田能久」も、この辺りにあるという設定でしょう。

料亭「中川」は、住友生命赤坂ビルの道を一本隔てて、ほぼ真西にありました。
上から三つ目の写真で、若大将の歩いて行く先に見える屋根は「中川」の屋根だと思います。

昭和38年の航空写真で、中川のある区画、赤坂3-11に見える駐車場が、
大和自動車のハイヤーの営業所です。
外堀通り沿いに見える駐車場は、国際自動車の営業所でした。
いずれも現在は貸しビルになっています。
国際自動車の貸しビル(国際山王ビル)は住友生命赤坂ビルの南隣りです。


大和自動車の営業所は、昭和40年代の早い時期に立体駐車場になりました。
この立体駐車場の塔が映画で映っていないので、
物干し台は大和自動車の営業所より北側だと思っていました。
しかし、映画での物干し台と住友生命ビルの位置関係から見ると、
この物干し台は赤坂3-11ではなく3-12ではないかと思います。
訂正します。
昭和38年の航空写真で赤坂3-12の一角に物干し台らしきものがあるように見えます。


「ゴー!ゴー!若大将」に大学教授役で出演した木崎国嘉先生
日本テレビの「11PM」で、
アンナ・ルーセンさんと語り合うコーナーを担当していらっしゃいました。
「ちょっとエッチな話をするお医者さん」という役回りでしたが、
後年、木崎先生より少し年若い国立大学医学部教授に聞いたところ、
当時の内科学会では名の知れた名医で、
木崎先生が深夜番組に出たので医者の間でも話題になったそうです。

木崎国嘉先生のことをネット検索しても、ほとんど出てこないので、
ここで略歴をご紹介します。

1907年2月15日、大阪生まれ。
1932年 京都帝國大学醫学部卒 京都帝國大学醫学部附属病院勤務
1937年 醫学博士 大阪日赤病院内科部長

おそらく、大学医学部からの誘いも多くあったでしょうが、
臨床の現場に留まりました。
医師として一線から退いた後は大手前女子大教授をなさっていました。
1984年6月18日に亡くなっています。




1983年の春、とある国際シンポジウム事務局を担当したことがあります。

受付に、金髪の女性が現れました。
お辞儀の所作から日本での生活が長い人であることはすぐにわかりました。

その女性がすぐに帰って行った後、対応した女性が小躍りして話してくれました。

スウェーデンから、後にノーベル賞を受賞した学者からメッセージが届いた。
ところが、これがスウェーデン語・・・。
日本在住が長いスウェーデン女性を探し、翻訳を頼んだ。
まだ、ファクシミリも普及していない時代。
こちらが急いでいる様子を悟り、
翻訳した原稿をわざわざシンポジウム会場まで届けてくれたそうです。

「あの人、アンナさんと言って、テレビの11PMに出ていたんですって」。

1983年にお見かけした時は、髪を長くのばしていたので気付きませんでした。

(つづく)





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