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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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東宝映画「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣」週刊カレント編集部を覗いてみよう





無人ロケット・ヘリオス7号が地球に戻ってきたのを旅客機から目撃したカメラマン久保明さん。週刊カレント編集部でその話をしても信じて貰えません。

窓の向こう、右側を新幹線が走っています。左側には円形のドームが・・・。



だったら、ヘリオス7号の水中写真を撮っても他社へ持ち込むという久保明さんに、堺左千夫編集長は、なんだと!!


窓の向こうに、コカ・コーラの広告看板。





久保明さんを追いかけてきた高橋厚子さんが、駐車場で声を掛けます。
後ろには「活魚 大雅」の看板が見えます。
 




窓の外に写っていたドームは日比谷映画。下の1970年の航空写真にはコカコーラの看板も写っています。週刊カレント編集部は、日比谷映画南側(左側)千代田劇場の一室でロケーション撮影をしていると思います。





「銀座 大雅」(千代田区有楽町2-2-2)は2015年2月末日で閉店。隣接するニュートーキョービルと共に取り壊され、現在、工事が行われています。


         


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東宝映画「惑星大戦争」国連宇宙局日本支部はJR中野駅北口にあった

NTTDoCoMo中野ビル(NTTドコモ中野ビル) ⇒  ここです。

この映画は1977年12月17日公開。当時は前年に出来たばかりの日本電信電話公社中野ビルでした。







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俳優 平田昭彦さん訃報記事




1984年(昭和59年)7月26日 朝日新聞より

早いもので、今度の土曜日で亡くなってから31年。来年は三十三回忌。















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1984年版「ゴジラ」は晴海埠頭に上陸した

1954年版「ゴジラ」を放送した翌週NHKBSプレミアムで1984年版「ゴジラ」を放送していました。

1954年版は芝浦埠頭に上陸し新橋方向から数寄屋橋交差点に現れたのに、今度は築地・晴海方向から数寄屋橋交差点にやってきます。(下のYoutube動画だと4分18秒あたり)





下の写真は1990年頃の晴海埠頭。(アテネ書房「空撮ダイナミック東京」より)


晴海埠頭1990年頃 

中央のドームがある建物一帯が、晴海の東京国際見本市会場

1959年(昭和34年)に作られ、1996年(平成8年)に臨海副都心の東京ビッグサイト開場に伴い閉場し取り壊されました。

1959年(昭和34年)は1964年のオリンピック開催地が東京に決まった年。

1958年(昭和33年)10月に公開された映画「女探偵物語 女性SOS」は、白川由美演ずる主人公の女探偵が晴海の団地に住んでいます。今に置き換えれば汐留近辺の高層マンションといった存在だったのでしょう。

1959年(昭和34年)7月公開、原知佐子主演「 女子大学生 私は勝負する」で冒頭オープンカーで走り抜けるシーンは、出来たばかりの東京国際見本市会場が映ります。

1954年版「ゴジラ」は、数寄屋橋から浅草方向へ向かいましたが、1984年版「ゴジラ」は新宿副都心を破壊する場面があるので、数寄屋橋交差点で急に左折するのも不自然なので晴海から上陸したのではないでしょうか。














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1954年「ゴジラ」が上陸した芝浦付近を見てみよう

先日、NHKBSプレミアムでデジタルリマスター版「ゴジラ」を見ました。
画質がかなり改善されていました。




ゴジラが東京湾で上陸したのは芝浦岸壁付近という設定です。

1955芝浦

昭和30年(1955年)当時の芝浦近辺の地図です。当時は芝浦岸壁に防波堤があったのですね。

1970芝浦

写真は昭和45年(1970年)当時の芝浦岸壁です。
現在は、この場所で「ゆりかもめ」がループしています。

1986芝浦

昭和61年(1986年)当時の地図。

「『日本一のゴマすり男』植木等・二瓶正也カーチェース場面ロケ地を辿る」で触れましたが、カーチェイス場面では、この横の高速道路を走り抜けています。




上陸したゴジラは、先日、山手線新駅設置計画が発表されたJRの車両基地付近で通過する東海道線を脱線させた後、札の辻交差点へ向かいます。

山根恭平(志村喬)博士、山根恵美子(河内桃子)さん、尾形秀人(宝田明)さん達が、上陸したゴジラの様子を高台にある板塀の前に立ち尽くし見守っていますが、おそらく港区立三田中学校並び三田東急アパートメントあたりという設定ではないでしょうか。







田町駅周辺は明治になるまで芝浜海岸でした。

三菱自動車工業本社が入っている第一田町ビル(東京都港区芝5−33−8)が、江戸湾からそのまま船を乗り入れることが出来た薩摩藩蔵屋敷。

慶應3年末に薩摩藩上屋敷が襲撃された時、上屋敷から蔵屋敷へ逃げてきた薩摩藩士たちは芝浜の漁民たちの漁船を使い、沖で待つ薩摩藩の船に避難したそうです。

薩摩藩蔵屋敷で西郷隆盛と勝海舟が江戸無血開城を決めた会談を行ったのは、翌慶應4年3月のことです。

落語「芝浜」は、時刻を間違え早朝市が開く前にやってきた魚屋が革財布を拾う話ですが、芝浜は漁民たちが当時日本橋にあった魚市場に魚を卸した後、売れ残った魚を夕方(といっても午後3時頃)に地元でアウトレットセールをする雑魚場(ざこば)で朝は開いていませんでした。

白金の八芳園は大久保彦左衛門の屋敷跡だそうです。一心太助は架空の人物だそうですが、芝浜の雑魚場で魚を仕入れ高輪から白金あたりで商いをしていたのでしょうか。

三菱自動車工業本社が入っている第一田町ビルの横に、本芝公園という公園があります。
この公園が昭和45年(1970年)に埋め立てられて出来るまで、最後まで残った芝浜の海岸でした。















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