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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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オバマ大統領と安倍首相が鮨を食べた「すきやばし次郎」はこの映画のロケ地

一週間ほど前から「塚本總業」「塚本泰山ビル」をキーワードにしてのアクセスが増えました。

たしかに「『その場所に女ありて』屋上ロケ現場のビルディング」の記事で「塚本總業」「塚本泰山ビル」に触れています。

昨日の朝、その理由がわかりました。

安倍晋三首相が来日するオバマ大統領を「すきやばし次郎」に招待し寿司をごちそうすると発表されたでしょ。

「すきやばし次郎」は、この塚本泰山ビル(現在は塚本總業ビルというらしい)の地下1階にあります。

このブログにアクセスしてきたのは、アメリカのシークレットサービスだったのかな?(笑)

 












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「その場所に女ありて」屋上ロケ現場のビルディング

東宝映画「その場所に女ありて」(1962年)の屋上シーン・ロケ地は、以前どこかで見た記憶があるがネット検索しても見当たらない。
もしや、麻布田能久の若旦那が以前書いていたものの閉鎖してしまったブログ「東宝娯楽映画ロケ地巡礼大作戦」で拝見したのではないかと思い、問い合わせたところ、麻布田能久さんご自身は触れておらず、2年くらい前に日本映画専門チャンネルの番組でやっていたと教えていただいた。

そういえばDVDに録画したはずと思い探したところ、確かに麻布田能久さんご指摘の通り、番組内で紹介していました。毎度ながら、麻布田能久さんの見事な記憶力に脱帽です。

ところが、DVDで再度この番組を見て気になった。
映画のロケ地などをよく紹介するコラムニスト泉麻人が番組進行役で解説をしていたが、屋上ロケが行われた隣のビルとして、現在の塚本泰山ビル屋上の「プリマハム」ネオンサインを映したのですよ。



下の写真で、右から左へ「塚本總業」の文字が書かれているのが塚本泰山ビルです。



「ちょっと、いいかな」・・・。



これ、塚本泰山ビルの隣のビルじゃないですよ。

下は映画から8年後、1970年の航空写真です。



①が朝日新聞社。②が塚本泰山ビル。
③が現在は「銀座第一弥生ビル」というらしい弥生ビル。
④は、今回の話とは関係ないけど、先回ふれた西銀広告本社の前に建っていた銀座東邦生命ビルです。

 



大塚道子さんと司葉子さんが立ち話をしている屋上は、③の弥生ビルです。
1970年当時は、すでに大塚道子さんと司葉子さんが立っていた場所(下の写真でマル印をつけたところ)は屋上でなく建物が造られています。(グーグルアースで見ると、現在も1970年当時と同じ状況みたいです)
②の塚本泰山ビルと③の弥生ビルは、お隣さんではありません。

 

 

②の塚本泰山ビルと③の弥生ビルの間にある、こげ茶色のビルディングは以前、朝日ソノラマが入っていましたね。
朝日ビルディングのサイトの会社概要「沿革」を見ると、「1970年東京第2朝日ビル竣工」となっています。グーグルのストリートビューで見ると、このビル「asahi buiding.-Ⅱ」の看板が架かっています(中央区銀座4-2-6)。おそらく、このこげ茶色のビルディングが「1970年東京第2朝日ビル竣工」でしょう。(つまり、この航空写真の年に竣工したのですね)

昭和30年の写真をみると、この「1970年東京第2朝日ビル竣工」の場所には、屋上の角に塔がある戦前からの建物と思われる建物が建っていて、映画「その場所に女ありて」翌年昭和38年の航空写真でも、その建物が確認できます。


屋上の角に塔のあった当時の建物屋上で撮影したとすれば、不二越ビル屋上の森永地球儀広告塔は映画画面には映らなかったのですよ。
















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植木等さんと行く「その場所に女ありて」ロケ地

昭和37年(1962年)1月28日に公開された東宝映画「その場所に女ありて」。

数寄屋橋交差点の横断歩道を、銀座東芝ビル(マツダビルディング)側から渡ってくる場面から始まります。

この映画、かなりシリアスなサラリーマンもの映画です。

 

半年後、同じ年の7月29日に公開された「ニッポン無責任時代」で、植木等さんに同じ横断歩道を渡ってもらうと・・・逆立ちしてしまうのでした。


司葉子さんの同僚役で歩きタバコしながら歩いていたのは、後にウルトラマンを演じた古谷敏さんですよね。昭和18年生まれだから撮影当時は、まだ未成年者でした。
今は喫煙シーンを撮影したら大問題になりかねません。
もっとも、歩きタバコ自体もロケーション撮影がムズカシイでしょうけれど・・・。



余談ながら、昭和37年当時、朝日新聞の英字表記は「ASAHI SHIMBUN」だったのですね。




せっかくだから、司葉子さんのお勤め先、西銀広告にもお邪魔しましょう。

児玉清さんが、柱にラーメン丼柄みたいな模様がある建物横に立っています。



中央にうつっている建物が、映画に出てくる「西銀広告」社屋です。

西銀広告並び右側の喫茶店から出てきた森光子さん。



森光子さんが児玉清さんと一緒に歩いて行く先には、東宝怪獣映画の聖地、森永の地球儀広告塔があった不二越ビル(東京都中央区銀座5-5-4)が見えます。



このラーメン丼柄の模様があった建物は、銀座東邦生命ビル(東京都中央区銀座3-3-1)。

現在は取り壊され、ZOE銀座という建物になっています。

下の写真は「震災復興<大銀座>の街並みから」(銀座文化研究 別冊)より



会議室内はスタジオセット撮影だと思いますが、西銀広告の前に銀座東邦生命ビルがある設定になっています。
横に住友銀行のロゴと思われる看板がありますが、この映画の頃は第一勧銀ではなく住友銀行が銀座東邦生命ビルに入っていたのでしょうか?



昭和48年の地図をみると、西銀広告本社の場所は三幸ビルとなっていて、その一階に第一勧銀が入っていますが、昭和60年の地図では、三幸ビルは第一勧銀ではなく大同信金となっています。その間に金融機関支店テナントが入れ替わったのでしょうか?

下の写真は昭和63年5月15日に、プランタン銀座の連絡通路から撮影したもの。
三幸株式会社の一階テナントは近畿日本ツーリストになっていたのかな。
現在、建物の名前は「SPP銀座ビル」(東京都中央区銀座2-4-9)となり、一階には
「ZARA 銀座マロニエ通り店」というテナントが入っています。





児玉清さんと森光子さんが歩いて行った場所は、現在、こんな感じです。



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