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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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4月8日はアルフィー高見沢俊彦&桜井賢、明治学院高等学校入学式の日

♪ あめつち こぞりて~

ナハハ 卒業式を取り上げたからには入学式も取り上げないわけには行きません。


 

明治学院高等学校の入学式は、1970年4月8日だったのですね。

司会の末永先生は、東京教育大学出身の生物学の先生。
入学してからわかりましたが、私の高校入学試験面接試験官はこの先生でした。

試験官から質問:「入学したら勉強しますか?」
猫被りの受験生:「はい」
試験官から答え:「わかりました」

これで面接試験は終了でした。

校長の原田先生は、戦争中に東京大学の文学部を卒業した日本史の先生。
今にして思えば、大学での専攻は日本史ではなく西洋史だったのではないかと思います。
校長としての立場で生徒に話す時は、かなり厳しいことを言ったけど、後々思い返してみると思想的にはかなりリベラルな方だったと思います。

明治学院長武藤富男先生・・・当時15歳だったワタシはスゴイ老人が登場したと思ったけど、1904年(明治37年)生まれで、当時は現在の高見沢俊彦&桜井賢とたいして変わらぬ弱冠66歳。
この武藤先生もリベラル派司法官僚だったらしいけど、やや話が大きかった。
入学式の話ではなかったと思いますが、私は乳母に背負われ日本海海戦の硝煙を海岸から見た。戦争はいけないという講話を聴いた覚えがあります。
日本海海戦は武藤先生1歳3カ月の時です。

そもそも、日本海海戦の硝煙が陸地から見えたのでしょうか??



今回、入学式次第と共に「明治学院高校生のあり方 -新入生のためにー」という冊子も発掘されました。
思い違いをしていた部分があります。
3年間の成績が5段階評価4.3以上がA段階で、面接試験だけで大学進学ではなく、成績上位10%がA段階で面接試験だけで大学進学でした。
成績上位10%がワタシたちの学年では5段階評価4.3以上だったのですね。「明治学院高校生のあり方 -新入生のためにー」に書いてありました。

次回は、入学後の高見沢俊彦・桜井賢の学校生活にスポットを当ててみたいと思います。
「拍手」してね。 ニンマリ



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