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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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1964年東京オリンピック開会式ブルーインパルスが五輪を描いた場所



昭和39年10月10日、東京オリンピック開会式。

航空自衛隊ブルーインパルスのF86セイバーが、東京上空で五輪の輪を描いてみせました。


下の2枚は、朝日新聞社「’64東京オリンピック」より

渋谷上空辺りから撮影している様子です。
2ページに分かれていますが、元は一枚の写真のはずです。
高度1000メートル辺りから撮影したのでしょうか。

 
下の2枚は、毎日グラフ臨時増刊「オリンピック 東京 一九六四」より

左右見開き2ページです。

一番上の天然色写真は、ブルーインパルスに指示を出したT-33機が任務完了後、上空から撮影したと伝えられている画像です。ブルーインパルスが高度1万フィート(3000メートル)で五輪を描く指示を出し、T-33機は上空1万5千フィートから見守ったらしい。
任務完了後のこのカラー写真は、1万5千フィートよりさらに高い高度まで上昇し撮影したみたいですね。





これらの写真から見ると、国立競技場上空ではなく、皇居より東側、いわゆる城東地区寄りの上空で五輪を描いたようです。

      

余談ながら、毎日グラフの写真キャプションに「高度2万メートル」とあるけど、高度2万メートルといったらU-2偵察機やグローバルホークが飛ぶ高さでしょ? 毎日新聞社の金星号はビーチクラフト機です。2万フィートの誤りではないでしょうか?

   



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杉並公会堂成人式に集まったオウム真理教(1990年1月15日)


1990年(平成2年)1月15日、杉並公会堂で行われた成人式。
翌2月に衆議院選挙を控えていたため、各政党が杉並公会堂前に宣伝カーを繰り出しました。



オウム真理教の麻原彰晃も、当時の東京4区(杉並区、渋谷区、中野区)からの立候補を表明していました。



被り物姿で、ビラを配るオウム真理教信者たち。

 

選挙結果は麻原彰晃落選。この落選を機に、オウム真理教は非合法活動への転換を進めて行ったと言われます。






現在の同じ場所です。(当時は20~35ミリの広角レンズで撮影していましたが、現在はコンパクトデジカメしか持っていないので画角が異なります。ご諒承ください)






杉並公会堂の建物は、すでに建て替えられています。
昨年夏に本社機能をつくば市に移転した新星堂本社の建物解体工事が行われています。

新星堂本社の隣は、ずいぶん前に解体され「建築計画のお知らせ」が出ていますが、まだ着工していません。







和菓子屋さんの隣は、私の子供の頃から歯医者さんでしたが、現在はマンションになっています。(1990年の写真でちょっと写っています)




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日本医科大学第一病院(千代田区飯田橋3-5-1)

現在の東京区政会館の場所にあった日本医科大学第一病院。

1997年に取り壊されました。(写真は1991年4月30日撮影)










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港区白金台4丁目日吉坂上の家並み



先日、白金台の医科学研究所・公衆衛生院並びの日吉坂上商店街の写真が、藤森照信先生の「看板建築」に掲載されていると、ブログ外で荻窪東宝さんにお話しました。

スミマセン、間違っていました。
正しくは村岡秀男さんの「下町残照」に掲載されているでした。

この写真を見て、さらに間違えに気付きました。
「RE:大学の石松に出てくる建物」で化血研の前には石屋さんがあったと書きましたが、石屋さんはビルに建て替えられ現在もありますね。
上の写真、左端の建物です。
地下鉄の出入口のところは本屋さんではなく、医科学研究所・公衆衛生院の入り口の一部で、本屋さんはその隣だったような気もしてきました。(汗)



松月堂菓子店は八芳園の道を隔てて西側角、現在「グランフォルム白金日吉坂」というマンションになっている場所にありました。

藤森照信先生の「看板建築」には清正公交差点角にあった山口家という住宅の写真が載っています。



ここは、現在、用地回収され道路の一部となっています。
グーグルのストリートビューでみると、こんな感じです。



ひとつオマケ。
鹿島出版会の「近代和風建築」に、昨年ソフトバンクの孫正義さんが用地買収し自宅を新築中と報道された白金の「般若苑」の写真が載っていました。














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RE:大学の石松に出てくる建物

メールボックスに以下のお便りをいただきました。

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大学の石松に出てくる建物


いつも楽しく見させてもらっています。もしかしたらご存じかなと思いメールしました。Yahooの知恵袋でも質問をしたのですかこの建物がわかりません。何かご存じではないでしょうか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=14129032249#328656340



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発信メールアドレスにメールボックスから返信しようとしても、なぜかグーグルクロームが開いてしまう(ワタシのメールボクス設定ミスかな?後で調べて置きます)ので、ブログ記事でお返事します。

「Yahooの知恵袋」でお見込みの東京大学医科学研究所と同じ敷地内、目黒通り沿いにある旧国立公衆衛生院の建物を西から撮っていると思います。

建物は現存しているものの廃墟になっているようですね。
http://www.funkygoods.com/hai/eisei/eisei.html

Bingマップで「東京都港区白銀台4-6-1」(医科研の住所)を入力し回転させると、空撮ですが全体像が見られます。



戦後昭和の映画でロケ地が「医科研」(古くは「伝染病研究所」で伝研と言いました)とされているものも、この公衆衛生院の建物を使っていることが多いようです。

ほかにも松竹映画「アジャパー天国」や東宝映画で若い医学生を描いた映画(名前が思い出せません)、吉永小百合が出る日活映画などでも、この公衆衛生院の建物が使われていたと記憶します。公衆衛生院は土曜日午後と日曜日は閉庁するので撮影がしやすかったのでしょう。

目黒通り日吉坂上は、道路が拡幅される前は空襲を免れた黒い下見板の木造建築の商店街がありました。地下鉄の駅があるところが本屋さん、化血研があるところが石屋さんでした。(記憶違いでした。「港区白金台4丁目日吉坂上の家並み」で訂正しました。)

目黒駅そばのシティーコート目黒となっているところが、戦前の海軍大学校跡地。戦後は厚生省の国立予防衛生研究所(予研)として使っていました。このあたりは戦後日本の伝染病研究地帯でした。

私の父は厚生省勤務の伝染病研究医で予研にいたので、つい懐かしくなってしまいました。

余計な話を長々とスミマセン。






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