東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

レンガ抜き取りで崩壊した中国の巨大石塔「雷峰塔」



万里の長城、城壁1960キロ、3割消失 600円でれんが販売も


 http://www.sankei.com/world/news/150704/wor1507040023-n1.html


(産経ニュース)


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「万里の長城」のレンガの3割が持ち去られ消失したそうですが、レンガが持ち去られ崩壊してしまった中国杭州西湖のほとりに建っていた巨大石塔「雷峰塔」の崩れる前の写真。
(1983年7月30日 朝日新聞 夕刊より)


森繁久彌・宮城まり子が吹き替えを担当した東映アニメーション映画「白蛇伝」の舞台は、ここだそうです。







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忠犬ハチ公が死んでいた澁谷區中通り三ノ四一の北側の路地

本郷の東大農学部構内に、ハチ公没後80年を記念し、寄付金1000万円で上野教授と忠犬ハチ公の銅像が建てられ、ハチ公命日の3月8日に除幕されたそうです。

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銅像、映画の主人公 
忠犬“ハチ公”の死


死期を知ってかけさ澁谷驛を脱け出て


うら寒き路地に骸


忠犬『ハチ公』が死んだ!春とはいへまだ身を切るやうな寒さに舗路も凍る八日朝六時ごろ澁谷驛から約二町ほどはなれた澁谷區中通り三ノ四一酒屋瀧澤政治さん方の傭人西村傳蔵(二〇)君がいつものやうに店さきを掃除してフト店の北側の路次(ママ)をみるとかねて顔なじみの『ハチ公』が頭を北に向けて眠るやうに目をとぢて倒れてゐた。
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昭和10年3月8日 朝日新聞 夕刊(当時夕刊は翌日付で発行されていたので3月9日付)





昭和34年8月の渋谷駅東口です。
角にある「白雪」の看板がある店舗が瀧澤酒店(渋谷区渋谷2丁目22−10
ビルに建て替えてからも、しばらくは酒店を続けていたものの、しばらく前に貸しビル業に専念したようです。
「店の北側の路次(ママ)」というのは、この写真では東急文化会館(現在の渋谷ヒカリエ)との間の路地だと思います。





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向田邦子が東京五輪開会式を見た場所は?岡崎友紀も同じマンションに住んでいた。

3月に入り、国立競技場の解体工事が始まりました。

かなり有名な話だが、向田邦子さんは1964年(昭和39年)10月10日の東京オリンピック開会式
聖火点火の瞬間を、国立競技場の外から偶然見かけたと書いています。

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 幸い伽里伽は、鳥も盗らず金魚も狙わず、結構可愛がられて、父との間もうまく行っていたが。飼い主の私が父と言い争いをして、家を出ることになってしまった。
 猫を連れて入れるアパートを探して、不動産屋の車で青山あたりを回っていたら、開会式の時刻になった。日本中の人がテレビにかじりついているというのに、父と争い家を飛び出して部屋探しをしている人間もいる。不動産屋の車が青山の表通りから横丁へ曲った。こんなところにマンションがあるのかな、と思ったとたん、ゆきどまりになった横丁の真下に、国立競技場がひろがっていた。
「ここが日本一の特等席ですよ」
 たいまつを掲げた選手が、たしかな足どりで聖火台を駈け上ってゆき、火がともるのを見ていたら、わけのわからない涙が溢れてきた。
 オリンピックの感激なのか、三十年間の暮らしと別れて家を出る感傷なのか、自分でも判らなかった。
 アパートは霞町にみつかった。
 ひと月後、母に引っぱられるよりにして、父が部屋を見にきた。伽里伽は、うれしいのだろう、怒ったように烈しく啼き。父の足にからだをすりつけてぐるぐる回っていた。父は何もいわず伽里伽の背を撫でていた。
 あれから七年で父は亡くなったが。伽里伽は今も元気である。華奢なからだは肥えふとり、長かった首も猪首にみえる。キリンの子はその名の通り羅漢さまになってしまった。この猫も父の形見のひとつである。
                          (東京新聞/1978・6・8)
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「眠る盃」収録「伽里伽」より


1964年の東京オリンピックから十数年経った後の向田邦子さんの回想なので、記憶の中の位置関係など多少曖昧になっているかも知れませんが、道路上から聖火台が見えたというのならば、鳩森八幡神社南側の道路沿いやや東側近辺しかないはずです。

JR中央線の車内からだと、千駄ヶ谷駅を出てすぐ、外苑西通り上ガードのところから国立競技場の聖火台が一瞬見えましたが、すぐ横の四谷第六小学校横の道路からは、神宮プールの建物があるので聖火台は見えませんでした。

「ゆきどまりになった横丁の真下に、国立競技場がひろがっていた」。
ここがムズカシイのですよね。
現在の「HILLS AOI」か「テラス外苑」の横あたりが「ゆきどまり」と言えなくもないが、そもそも明治公園横観音橋から鳩森八幡神社方向へ向かう道は二本とも鳩森八幡神社方向へ向けて一方通行なのです。当時は対面通行だったのかも知れませんけれど。
 
向田さんの記憶通りだったとすれば、下の写真の赤いカーソルの辺りだったはずです。




 1970年当時の国立競技場と東京体育館。
東京体育館南側の建物は、1973年の地図では角が竹中工務店社員寮、隣が第一生命社宅となっています。
その奥の二棟は千駄ヶ谷清和寮と千駄ヶ谷アパートメント清和苑となっています。



1970年1月公開の映画「ブラボー若大将!」の明治公園でのロケシーン。



今年1月にNHK教育テレビ(今はEテレというのかな?)で放送した「建築は知っている」で、国立競技場聖火台から撮影した光景。
近年は明治公園西側にビルが建っているので道路から聖火台が見えることはありませんでした。

 

「アパートは霞町にみつかった」という住まいは、現在の港区西麻布3-17-36「霞町マンション」というのも、かなり有名な話です。
この後、1970年に当時の超豪華マンション「南青山第一マンションズ」に移ります。

向田邦子さん独特の謙遜癖から自宅を出て「アパートは霞町にみつかった」などと書いているが、1970年のタレント名鑑を見ると、当時の若手女性アイドルタレント岡崎友紀が「霞町マンション」4階に住んでいます。
それよりも6年も前、1964年に「霞町マンション」の一室を借りたということは、向田邦子さんは当時すでにかなりの収入があり高級マンションに入居したということでしょう。


現在、千駄ヶ谷清和寮と千駄ヶ谷アパートメント清和苑の跡地は、フレンシア外苑西という高級賃貸マンションになっています。
千駄ヶ谷で向田さんが内覧した物件は、千駄ヶ谷清和寮か千駄ヶ谷アパートメント清和苑だったのではないでしょうか。
















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東宝映画ロケ地・東京會舘 2015年1月末で営業終了

1月末で営業終了 東京會舘“最後の干支ケーキ”


 http://www.47news.jp/topics/entertainment/oricon/economy_trend/163357.html






写真は「日本一のホラ吹き男」の結末、結婚式場面に登場する建て替え前の東京會舘。



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東京都渋谷区、総合庁舎と渋谷公会堂建替案を公表

渋谷区、総合庁舎と渋谷公会堂建て替え案公表-渋公は2000席

 http://www.shibukei.com/headline/10510/

(しぶや経済新聞)








写真は共に1970年当時の渋谷区役所と公会堂(ノーベル書房「空の散歩シリーズ1 東京」より)


渋谷区のサイト:庁舎建替え特集号 平成26年(2014年)11月9日発行


 https://www.city.shibuya.tokyo.jp/city/news/20141109/tokushu.html















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虎ノ門ヒルズ下を通る環状第2号線のため取り壊された虎ノ門神経科龍醫院

虎ノ門病院の横にあった虎ノ門神経科龍醫院(当時の住所は港区虎ノ門2-3-24)

以前撮影した写真が見つからなかったので、以下のサイトから画像を拝借しました。

https://www.flickr.com/photos/maynard/360417684/

東京都市計画道路幹線街路環状第2号線整備のため2012年に移転。



グーグル、ストリートビューに残っていた環状第2号線整備前の虎ノ門神経科龍醫院跡地



空から見るとこんな感じ(Bing-map)




1970年当時の航空写写真。★印が虎ノ門神経科龍醫院があった角です。



龍醫院から、虎ノ門ヒルズのため取り壊された第17森ビル方向へ環状第2号線が延伸されました。

自転車会館も取り壊され、今後、この一帯は再開発されるそうです。















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「虎ノ門ヒルズ」が出来る前の東京都港区虎ノ門1丁目23はこうなっていた

2014年6月11日、東京都港区虎ノ門1-23~26に虎ノ門ヒルズがオープンしました。





1990年2月1日発行セイコー社「はい・まっぷ 港区」より


Bingマップに、まだ更地状態当時の鳥瞰図が残っています。













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目黒の国立予防衛生研究所(海軍大学校)の建物写真

先日、「RE:大学の石松に出てくる建物」で、品川区上大崎2丁目にあった戦前の海軍大学校を戦後は国立予防衛生研究所として使っていたと書いたところ、海軍大学校だった建物の写真が掲載されているサイトを知らないかと問い合わせをいただきました。

ネット検索してみたら、ホント海軍大学校でも国立予防衛生研究所でも建物写真が出てきませんね。

そこで・・・親切はTOKUSABUROさんは写真を引っ張り出してきました。パチパチパチ

出典は、松葉一清著「帝都復興セリ」(1988年)。
アマゾンで見たら文庫本まで絶版になってしまったのですね。





1935年(昭和10年)に刊行された「建築の東京」という、関東大震災復興後に建てられた当時の最新建築の写真集を元に、「建築の東京」で取り上げられた建物が1988年(昭和63年)当時ではどうなっているかを追った本が「帝都復興セリ」です。(「建築の東京」は不二出版から復刻版が出ているそうです。⇒  )

この「帝都復興セリ」は、1988年当時すでに現存していない建物は「建築の東京」から写真を転載し、現存していた建物は新たに撮影し直しています。(名前の後に白丸がついている建物は、当時、まだ現存していました)

またもや、1970年のノーベル書房写真集に協力していただき、当時の目黒駅周辺を空中散歩。



目黒の杉野講堂もいつの間にかなくなってしまいましたね。





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「五番町グランドビル」にあった「吉行あぐり美容室」

市ヶ谷の「五番町グランドビル」1階に入っていた「吉行あぐり美容室」。

(1994年8月24日撮影)


吉行あぐり美容室

1980年に「五番町グランドビル」が出来る前は、木造の建物でした。

NHK朝の連続テレビ小説「あぐり」が放送されたのは1997年だったそうです。

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以下のブログで詳しく取り上げていらっしゃいます。

市ヶ谷 あぐり美容室(閉店)





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