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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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「ゴーゴー若大将」澄ちゃんと宮下公園でブランコに乗ろう

渋谷から若大将・田沼雄一に電話をし「さよなら」と告げた越川澄子さん。
渋谷宮下公園に、青大将・石山新次郎を呼び出します。




下は、1960年11月撮影の写真。
(「鉄道と街 渋谷駅 渋谷駅開業100周年記念出版」大正出版 1985年より)

すでに渋谷川が暗渠になり、その上に公園が造られています。
三和銀行が現在の「109MEN'S」。
その向こうに住友信託銀行(三井住友信託銀行)、安田火災海上(損保ジャパン)という並びは、現在も同様です。



地上部分を駐車場にし、その上を公園にしたのは、昭和39年(1964年)東京五輪を機会にして。
この当時の宮下公園は、原宿の代々木体育館・渋谷公会堂にも近く、横には東京都児童館も出来、かなりモダンな公園でした。

昭和40~41年当時、東京都児童館、NHK放送センター(現在のスタジオパーク)、科学技術館などは無料だったので、日曜日に小学校の友達らでよく行きました。



「ゴーゴー若大将」は、昭和42年の大晦日封切り。
この後、昭和43年をピークに大学紛争が起こり、1970年代に入ると内ゲバ化します。
大学紛争当初は、明治公園や清水谷公園がデモや集会の拠点でしたが、70年代になると宮下公園も拠点となります。
この頃から、宮下公園は整備・清掃が放置され荒れて行きます。

70年代に入ると、映画ロケどころか通行人もあまり通らなくなり、その後、立体式公園にした当時植えた樹木は伸び、バブル経済崩壊後はブルーシートのホームレス住宅が立ち並びました。



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