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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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日活映画「街から街へつむじ風」芦川いづみさんが勤務する田村病院

今月、チャンネルNECOで、石原裕次郎の「街から街へつむじ風」を放送しています。
この映画、DVD化されていませんが勧善懲悪&メデタシメデタシで楽しめます。


 

メデタシメデタシとなり、田村病院を後にする医師石原裕次郎ら。



「さようなら」「お元気でね」



ハイ、ロケ地がどこかも映画のストーリー同様、わかりやすいですね。
渋谷桜丘町の東急電鉄本社が写っています。
道路の先には左側には東急文化会館屋上の五島プラネタリウム。
道路右側の先に建っているビルは、現在プライア渋谷というマンションになっている場所にあった公団住宅(渋谷区渋谷3-6-4)。東京タワーも見えます。

もっとわかりやすいのは映画紹介では「田村病院」のはずなのに、映画では堂々と大下外科と書いてある建物から出てくることです。

昭和48年の地図では、まだ東急電鉄本社ビルの斜め前に、大下外科病院があります。
現在は渋谷大下ビル(渋谷区道玄坂1-16-5)となっています。



石原裕次郎・宇野重吉親子と一緒にトラックに乗り込んだ芦川いづみさんの荷物はカバンひとつ。
宇野重吉が腰かけているのが荷物行李かな?
ほかに荷物がないなら運送屋さん頼まなくてもタクシーで引っ越し出来たよ。

石原裕次郎の葬儀の時、芦川いづみさんはすでに引退した身だからでしょうか、一般参列者の長い列にならび焼香していました。律義な方です。

2010年12月6日、目黒区八雲付近でカメラを構えながら信号待ちしてたら、横から現れた散歩のオジサンが、まさか俺を撮ろうとはしてないだろうなという感じでガン見してきました。

撮らないよ~ォというふうを装い、遠くからパパラッチしました。
芸能人のみなさん、カメラを持った歩行者にはくれぐれも気をつけましょう。





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東京人増刊 上智大学と四谷界隈の100年

上智大学と四谷界隈の100年 

東京人増刊 2013年12月号


出版社名 :  都市出版
発売日 :  2013年11月8日
雑誌JAN :  4910167261236
雑誌コード :  16726-12
税込価格 :  700円




 http://www.sophia.ac.jp/jpn/info/news/2013/11/globalnews_913/20131107news2?kind=0


東京人(12月増刊号)「上智大学と四谷界隈の100年」 主なコンテンツ


■ザビエルが抱いた夢  川村信三 (上智大学史学科長)
■上智は一日にして成らず~歴史の荒波に鍛えられた、100年の軌跡~  増田祐志 (学生総務担当副学長)
■キャンパスのメインストリートに、再びたたずめば  長野智子 (キャスター)
■祈り、行動する神父の日常  ドナル・ドイル(外国語学部英語学科名誉教授、SJハウス院長代理)
■アンコール・ワット遺跡をソフィア・ミッションで守り継ぐ、深き師弟の物語  石澤良昭(上智大学前学長、アジア人材養成研究センター所長)


■売れっ子プロデューサーが語る 人気作品は、真田濠から生まれるんだ
赤池洋文(株式会社フジテレビジョン・プロデューサー)
 磯山晶(株式会社TBSテレビ・プロデューサー)
 川村元気(東宝株式会社・映画プロデューサー)
鈴木雄雅(文学部新聞学科教授)


■他大学の学長になって思う、上智大学の強さと課題
 川野祐二 (エリザベト音楽大学学長)
 日比谷純子 (国際基督教大学学長)
濱名篤(関西国際大学学長、学校法人濱名学院理事長)


■四谷界隈”通“がおすすめするインターナショナルな食


その他、四谷の街紹介や教育研究活動の紹介等を含めた充実の内容となっています。

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「ゴーゴー若大将」澄ちゃんと宮下公園でブランコに乗ろう

渋谷から若大将・田沼雄一に電話をし「さよなら」と告げた越川澄子さん。
渋谷宮下公園に、青大将・石山新次郎を呼び出します。




下は、1960年11月撮影の写真。
(「鉄道と街 渋谷駅 渋谷駅開業100周年記念出版」大正出版 1985年より)

すでに渋谷川が暗渠になり、その上に公園が造られています。
三和銀行が現在の「109MEN'S」。
その向こうに住友信託銀行(三井住友信託銀行)、安田火災海上(損保ジャパン)という並びは、現在も同様です。



地上部分を駐車場にし、その上を公園にしたのは、昭和39年(1964年)東京五輪を機会にして。
この当時の宮下公園は、原宿の代々木体育館・渋谷公会堂にも近く、横には東京都児童館も出来、かなりモダンな公園でした。

昭和40~41年当時、東京都児童館、NHK放送センター(現在のスタジオパーク)、科学技術館などは無料だったので、日曜日に小学校の友達らでよく行きました。



「ゴーゴー若大将」は、昭和42年の大晦日封切り。
この後、昭和43年をピークに大学紛争が起こり、1970年代に入ると内ゲバ化します。
大学紛争当初は、明治公園や清水谷公園がデモや集会の拠点でしたが、70年代になると宮下公園も拠点となります。
この頃から、宮下公園は整備・清掃が放置され荒れて行きます。

70年代に入ると、映画ロケどころか通行人もあまり通らなくなり、その後、立体式公園にした当時植えた樹木は伸び、バブル経済崩壊後はブルーシートのホームレス住宅が立ち並びました。



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11月8日発売の廉価版「若大将シリーズ」映画は以下の通りです。


南太平洋の若大将【期間限定プライス版】 [DVD]




銀座の若大将【期間限定プライス版】 [DVD]





日本一の若大将【期間限定プライス版】 [DVD]





レッツゴー! 若大将【期間限定プライス版】 [DVD]





リオの若大将【期間限定プライス版】 [DVD]







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11月8日、「妖星ゴラス」「海底軍艦」など東宝特撮映画廉価版DVD発売

妖星ゴラス






マタンゴ





海底軍艦





『モスラ 』





『空の大怪獣ラドン 』






『超少女REIKO 』




『東京湾炎上 』




『モスラ(1996)』




『モスラ2 海底の大決戦 』




『モスラ3 キングギドラ来襲 』




『竹取物語 』




『幻の湖 』





『空の大怪獣ラドン 』




『地球防衛軍 』




『フランケンシュタイン対地底怪獣 』




『フランケンシュタインの怪獣サンダ対ガイラ 』




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「ゴーゴー若大将」 スミコ 渋谷へ行く

若大将の自宅、赤坂の田能久を訪ねたところ、先客芸者の京奴(浜木綿子)を息子の婚約者と勘違いした若大将の父・牛太郎(有島一郎)にお引き取りくださいと言われ、ショックを受け、そのまま帰路についた越川澄子(星由里子)。



赤坂見附方向から走って戻ってくる若大将に気付き、スミちゃんは咄嗟に住友生命赤坂ビルの柱の陰に隠れます。

(写真提供:麻布田能久さん)


スミちゃんは、この柱のかげに隠れたのですね。



現地撮影時、若大将がスミちゃんに気付かず走って帰宅した道を、46年後、黒い刺し子半纏を纏った男性が歩いて行きました。
半纏の背中には「あかさか」という刺繍が入っていました。




牛太郎の勘違いで澄子さんを追い返してしまったと気付いた雄一。
そこに澄子さんが電話をしてきます。
「ワタシ急に用事ができちゃったの。さよなら」。



澄子さんが公衆電話をかけてきたロケ地は渋谷ですね。
下の写真は昭和40年10月9日撮影。
かまぼこ型の東横線プラットホームと高速道路の角右側です。池田信さんの写真、昭和36年の「渋谷駅東口」にも写っています。
現在、六本木通りという名がついている道路が、この高速道路下を山手線ガード下を潜り、玉川通りにつながっていますが、六本木通りは昭和39年の東京五輪開催決定後、急遽整備された道路。
山手線ガード下を潜る道路も、その時造られました。
本来の玉川通りはハチ公前からガード下を潜り、宮益坂経由で青山通りへつながっているだけでした。



写真を拡大してみましょう。
現在、スミちゃんが公衆電話を架けたロケ地には、一階に山下書店が入ったビルディングが建っています。(渋谷区渋谷3-19
山下書店の前のテナントはパチンコ屋さん、その前は新日本証券が入っていた、このビルディングは昭和50年ごろには、すでにありました。

しかし、池田信さんの写真「焼肉天安館 稲荷橋」同様、昭和40年時点でも、まだ建っていません。この場所に公衆電話があると見立ててロケーション撮影したものと思います。
昭和40年時点で角になる建物(カネイチビル)は現在もありますが、山下書店が入っているビルディングとの間には稲荷橋があり、ここは東横百貨店納品口などへつながり結構クルマが通ります。



この後、スミちゃんは青大将を呼び出しますが、今日はちょっと余談を…。
渋谷駅西側、住友銀行の看板がある東急プラザの高速道路のさらに右側、「クレージーの怪盗ジバコ」で、浜美枝さんが屋上にプレハブを建てて住んでいる建物を挟んで二又路になっています。
その西側の一角に注目。
上の写真だと自動車が停まっているようにも見えますし、ビルの陰に建物があるようにも見えます。
昭和40年の日活映画「青春前期 青い果実」
太田博之は父内藤武敏と猿楽町あたりのアパートに住んでいます。
親子で買い物をしている姿をみつめる同級生・梶芽衣子(当時はまだ太田雅子)。
この肉屋さんのロケ地は、この二又路の西側角ではないでしょうか?

ちなみに、山一証券の手前角にある酒屋さんが、現在は貸しビル専業にしてしまったようですが、滝沢酒店。
この建物北側が忠犬ハチ公終焉の地です(当時の朝日新聞に載っています)。













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東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン 2013年11月19日号 クレージー作戦 くたばれ無責任

東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン 2013年11月19日号 クレージー作戦 くたばれ無責任

 http://kigekidvd.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/16-b456.html 

出版社名 : 講談社
発売日 : 2013年11月5日
雑誌JAN : 4910238531138
雑誌コード : 23853-11
税込価格 : 1,590円




【16号】
*くたばれ!無責任(1963年10月公開)
  ハッスルコーラを飲んで無責任をぶっとばせ!


 ◇植木等  田中太郎 役
 ◇浜美枝
 ◇北あけみ


[マガジン]
◆大爆笑の立役者 主人公&サブキャラ徹底解剖!
◆映画見どころ 虎の巻
  大爆笑!今作品まるごとガイド
◆昭和の喜劇人 ~東野英治郎
◆女優百科 ~北あけみ
◆勝手にC調考現学
◆爆笑喜劇バンザイ! ~野川由美子

…ほか

☆超お宝!復刻ポスター付き


ロケ地は今 石神井公園


泉麻人「ソコドモ」 小田急バス(荻窪団地)


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赤坂「ホテル東急観光」パンフレット 1991年

映画「ゴーゴー若大将」で、氷川町から澄子さんが勤める福吉町のガソリンスタンドへ向かう途中にあった「ホテル東急観光」。

「赤坂 ホテル東急観光」で検索しても、データがまったくヒットしないのが不思議。

かといって、私も詳しくは知りません。
「ホテル東急観光」という名前だったのだから、おそらく東急観光が経営していたのだと思います。
このパンフレットは1991年のものですが、跡地に建つ秀和溜池山王レジデンス(港区赤坂2-21-6)は1998年10月竣工となっています。

このパンフレットの写真は1990年代でも、すでにじゅうぶん古めかしく、よろこんで貰って来ました。

「ホテル東急観光」というと「あかはね」のことでしょという年輩の女性がいたことを思い出した。
「あかはね」でネット検索すると「あか羽」がヒットしました。

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http://www.geocities.jp/akahane_kamo/


昭和23年10月元宮内庁狩猟頭で当時皇太后太夫であった故坊城元伯爵の立会いで、大善寮の諸鳥包丁之事を伝授され東京赤坂に創業いたしました。昭和43年12月現飯倉に移転いたしまして現在に至っております。
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ホテル東急観光のパンフレットにも「鷹匠料理」の記述があり、確かに「あか羽」と通じるところがあります。

この赤坂にあった「あか羽」の跡地に建っていたのでしょうか?















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「ゴーゴー若大将」赤蝮に誘拐された澄ちゃんを助けに行こう

赤坂の街へ夜廻りに出た若大将、田沼雄一。男女が乗ったオートバイに追い抜かれます。
オートバイから降りた二人が入った店は「SNACK BAR」という普通名詞か屋号か不明な店舗。



若大将の後ろにトンネルみたいなものが見えます。
氷川公園地下の駐車場(赤坂パーキングセンターというらしい)だと思います。
すると、「SNACK BAR」の建物は「ホテル シャンティ赤坂」(港区赤坂2-16-15)が
建っている場所ではないでしょうか?

「SNACK BAR」の外壁が「ホテル シャンティ赤坂」の道一本北側角にある「串あげ 福の神」という看板が出ている店舗に似ていますが、一本北側の道からだと、地下駐車場入口がこの角度では撮影できません。




悲鳴を耳にした若大将。残念ながら、この場所がどこかわかりませんが、右側にある石垣は氷川公園ではないでしょうか?



澄子さんを無理矢理クルマに乗せようとしているのは、青大将曰く「アカマムシ」という奴だそうです。
紹介が遅れましたが、「SNACK BAR」の前に停めてあるスポーツカーは、青大将のクルマ。
オートバイから降りた二人が「SNACK BAR」に入った後、入れ違いに出てきた青大将と顔を合わせています。

青大将がひるんだ隙にクルマを発進させたアカマムシ。



若大将は青大将のクルマを借り追いかけます。
都築設計事務所という看板が出ているところでアカマムシに追いつき、澄ちゃんを奪い返しました。
「送りましょう」と青大将のクルマに乗せられ、澄ちゃんは「福吉町のガソリンスタンドに勤める越川澄子です」と自己紹介。

ところが、帰りにスピード違反と車両改造(青大将がマフラーを外していた)で検問に引っかかります。




下の昭和38年の航空写真で説明しましょう。
①がTBS東京放送の社屋。
②の現在、国際新赤坂ビル東館の場所には、赤坂自動車練習場がありました。昭和46年の地図には載っていますが、昭和48年の地図では、赤坂自動車練習場の表示はありません。
③が氷川公園。★をつけたあたりが「SNACK BAR」ロケ地と思われる場所です。
④が氷川小学校。現在は「港区立赤坂子ども中高生プラザ」という施設になっています。
⑤の場所は、後に日本ユニバック(現:日本ユニシス)が本社を建てたところ。
1970年代はじめに建てた本社ビルは移転し、現在は「赤坂タワーレジデンス〜Top of the Hill」という高層マンションが建っています。
氷川小学校南側にも石垣があり、若大将が澄子さんの悲鳴を聞きつけた場所は、あるいはここだったかもしれません。しかし、石垣の組み方がやや違うように思えます。
⑥は霊南坂教会。澄ちゃんが勤める「福吉町のガソリンスタンド」は、すでに荻窪東宝さんが
「聖地巡礼」で巡礼されています。アークヒルズの区画整理に伴い、ガソリンスタンドはすでにありません。

映画の中で、この後、若大将が「福吉町のガソリンスタンド」を訪れた時、ガソリンスタンドの後ろに、霊南坂教会の塔の屋根がうつります。

この出光のガソリンスタンドの所在地は、福吉町ではなく道路の反対側、麻布谷町です。
なんで、澄ちゃんは若大将に「福吉町」といったのでしょう?

福吉町は麻布谷町との間を走る都電の停留所の名前。

「日本一の色男」で白川由美のマンションは材木町だという台詞がありますが、
この当時は、東京都心部のおおよその場所を、最寄りの都電停留所の名で言い表していたのですね。




アークヒルズの地上げの様子は、NHKの「メッシュマップ東京」(1974年11月13日放送)
というテレビ番組に出てきます。
そのうちインターネットでオンデマンドで見られるようになるかもしれませんが、
埼玉県川口市のNHKアーカイブスなど、全国のNHK施設でも見ることができます。

下の写真は1970年当時の航空写真を拡大してみました。
1980年11月の三浦友和・山口百恵の結婚式で有名になった、
当時の霊南坂教会も1985年にアークヒルズの区画整理の一環で取り壊されました。
現在の霊南坂教会は換地され、この当時よりやや東側に南北に細長く建っています。





氷川公園から氷川小学校の横を通ると、確かに当時の都電福吉町停留所に出ます。
この映画の岩内克己監督の性格なのでしょうか、ロケーション地点の位置設定も厳密ですね。


さて、帰りに若大将が検問で停められた場所はどこでしょう?
警察官が懐中電灯を振り停車を指示する場所は、横に「SNACK BAR」らしき建物がありますが、その後、白っぽい柵が右側にあるところを通ってクルマを停めます。
この白っぽい柵の向こうが赤坂自動車練習場で、検問の警察官たちが座っているところの背後が、現在、国際新赤坂ビル西館が建つ国際自動車の建物ではないかと思うのですが、どうでしょう。

なお、カーチェイス場面で道路脇に赤い提灯がある通りは、氷川町ではなく、
おそらく、みすじ通りあたりの映像を組み合わせたはずです。

また、氷川町でも人通りが少ない日曜日か深夜に撮影された様子で、カーチェイス場面では、近くに議員宿舎があるためか横の路地にパトカーらしき車輛が待機しています。






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続 「日本一のホラ吹き男」ゴルフ場のロケ地を探そう

荻窪東宝さん経由で、以下のとおりご意見をいただきました。
ありがとうございました。
う~ん、謎は深まります。

このブログへのコメントは、ブログ記事下の(CM)をクリックすれば入力できます。

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今回の成城学園前の聖地巡礼記事から辿った TOKUSABURO さんの HP の『「日本一のホラ吹き男」ゴルフ場のロケ地を探そう』で、参考になりそうな写真があったのでご連絡です。


記事: http://tokusaburo.kakuren-bo.com/nipponichinohorafukiotoko/horafukigolf


このメール内容と写真(のURL)は TOKUSABURO さんに転送戴いて構いません。


川崎国際生田緑地ゴルフ場(川国)に行った事があります。


このゴルフ場は古くからあり、60年くらいの歴史があったと思います。 
ここ1年くらいのことか、川崎市の第三セクターから東急ゴルフリゾートに
運営の委託を行っています。 クラブハウスも建て替えています。


さて、クラブハウス改築前にここを訪ねたことがあります。
年に数回市民解放日というのがあって、だれでも入ることができ、
春は桜を楽しむことができます。


その時に、たまたま撮影したクラブハウスの写真がありました。
テラス付近は鮮明ではありませんが、確認の役には立つと思います。


これらの写真は全てパブリックドメイン(CC0: Creative Commons 0)としますので、
ご自由にお使いください。 出典の明示も不要で、また改変も自由です。


画像はこちらのページの KK1~KK4 です。


http://blue.zero.jp/morikuma/tmp/YuritankImages.html


残念ながらクラブハウスのテラス上から近傍を見渡した写真はありません。


私が気付いた点を列挙しておきます。
HPに掲載されている映画画像のみしか見ていませんので、さらに多くの箇所を比較
すればもっとわかると思います。


・フェンスの作りは似ている(フレーム+ネット状のもの)
・フェンスの縦の支柱のピッチが、映画より川国の方が広いようだ(改築の可能性もある)
・クラブハウス側の屋根と窓が、映画と川国では違うように見える(改築の可能性もある)
・テラスから降りる階段の取付け位置が異なる(改築の可能性もある)
 記憶では2012年時点で、テラスから南側ないしは東側に降りる階段はありませんでした。


いろいろな情報を集めると新しい事が見える場合もあります。
参考になればと思います。


では。
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