若大将の自宅、赤坂の田能久を訪ねたところ、先客芸者の京奴(浜木綿子)を息子の婚約者と勘違いした若大将の父・牛太郎(有島一郎)にお引き取りくださいと言われ、ショックを受け、そのまま帰路についた越川澄子(星由里子)。
赤坂見附方向から走って戻ってくる若大将に気付き、スミちゃんは咄嗟に住友生命赤坂ビルの柱の陰に隠れます。
(写真提供:
麻布田能久さん)
スミちゃんは、この柱のかげに隠れたのですね。
現地撮影時、若大将がスミちゃんに気付かず走って帰宅した道を、46年後、黒い刺し子半纏を纏った男性が歩いて行きました。
半纏の背中には「あかさか」という刺繍が入っていました。
牛太郎の勘違いで澄子さんを追い返してしまったと気付いた雄一。
そこに澄子さんが電話をしてきます。
「ワタシ急に用事ができちゃったの。さよなら」。
澄子さんが公衆電話をかけてきたロケ地は渋谷ですね。
下の写真は昭和40年10月9日撮影。
かまぼこ型の東横線プラットホームと高速道路の角右側です。池田信さんの写真、昭和36年の「
渋谷駅東口」にも写っています。
現在、六本木通りという名がついている道路が、この高速道路下を山手線ガード下を潜り、玉川通りにつながっていますが、六本木通りは昭和39年の東京五輪開催決定後、急遽整備された道路。
山手線ガード下を潜る道路も、その時造られました。
本来の玉川通りはハチ公前からガード下を潜り、宮益坂経由で青山通りへつながっているだけでした。
写真を拡大してみましょう。
現在、スミちゃんが公衆電話を架けたロケ地には、一階に山下書店が入ったビルディングが建っています。(
渋谷区渋谷3-19)
山下書店の前のテナントはパチンコ屋さん、その前は新日本証券が入っていた、このビルディングは昭和50年ごろには、すでにありました。
しかし、池田信さんの写真「
焼肉天安館 稲荷橋」同様、昭和40年時点でも、まだ建っていません。この場所に公衆電話があると見立ててロケーション撮影したものと思います。
昭和40年時点で角になる建物(カネイチビル)は現在もありますが、山下書店が入っているビルディングとの間には稲荷橋があり、ここは東横百貨店納品口などへつながり結構クルマが通ります。
この後、スミちゃんは青大将を呼び出しますが、今日はちょっと余談を…。
渋谷駅西側、住友銀行の看板がある東急プラザの高速道路のさらに右側、「クレージーの怪盗ジバコ」で、浜美枝さんが屋上にプレハブを建てて住んでいる建物を挟んで二又路になっています。
その西側の一角に注目。
上の写真だと自動車が停まっているようにも見えますし、ビルの陰に建物があるようにも見えます。
昭和40年の日活映画
「青春前期 青い果実」。
太田博之は父内藤武敏と猿楽町あたりのアパートに住んでいます。
親子で買い物をしている姿をみつめる同級生・梶芽衣子(当時はまだ太田雅子)。
この肉屋さんのロケ地は、この二又路の西側角ではないでしょうか?
ちなみに、山一証券の手前角にある酒屋さんが、現在は貸しビル専業にしてしまったようですが、滝沢酒店。
この建物北側が忠犬ハチ公終焉の地です(当時の朝日新聞に載っています)。
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