映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)
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先日お話したとおり、麻子は駒沢のマンションから西荻窪の一戸建に引っ越していました。
麻子の事務所は、いわゆる代官山。渋谷区猿楽町2にありました。
麻子の自宅は、JR中央線西荻窪と京王井の頭線三鷹台の間です。
井の頭通りや井の頭線を使えば、渋谷に一本ですね。
なお、三鷹台には夏子のお母さん北村愛を演じた野際陽子さんの出身校、
立教女学院があります。
立教女学院は、幼稚園から短大まであります。
麻子と夏子の母校も、ここかも知れませんね。
弁護士役の草刈正雄と面談した後、麻子と一緒に歩くのは神保町三井ビル。
ただし、面談した飲食店は田町のグランパークのようです。
市原隼人と夏子が働く中華料理店は、飄香 麻布十番本店。
(港区麻布十番2−8−15 F Plaza B1)
ただし、仕事が終わった後、市原隼人が缶ビールを飲んでいるロケ地は、
元麻布みたいです。
1988年の連続ドラマ第9話で、夏子・麻子が北村愛の再婚相手と会う中華料理店は、
横浜中華街の天外天(横浜市中区山下町189 第2東明ビル 1F)でした。
麻子と夏子がウエディングドレスを試着したビルは、窓の外に銀座の明治屋がうつります。
「HARRY WINSTON」(中央区銀座1-8-14)という高級宝石店の建物らしい。
結婚式会場は「キャメロットヒルズ」(さいたま市北区別所町36-3)。
1988年の連続ドラマ第9話で、柳葉敏郎が登場した結婚式場は、
撮影協力エトワール玉姫殿と出ますね。どこにあったのだろう?
今日のオマケ・・・
「抱きしめたい! Forever」でも回想シーンで使われた埠頭は豊海埠頭です。
隣の晴海埠頭は、この後平成のはじめに大変わりし、
今度の東京五輪でさらに変わるようですが、ここは現在もほとんど変わっていません。
次回は、連続ドラマ終了後、圭介(岩城洸一)も、
麻子と夏子がいる駒沢に転居していたというお話を・・・。
お楽しみに
★ドラマ「抱きしめたい!」圭介も駒沢に引っ越していた
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2013/09/22/kiji/K20130922006664410.html
[ 2013年9月22日 07:57 ]
「おさかな本舗たいこ茶屋」のサイト ⇒ http://www.taikochaya.jp/
前回までのあらすじ
洗面所に立った高見沢俊彦青年・・・。
しばらくすると、顔面蒼白で戻ってきて・・・「血、吐いた!」
驚き、洗面所へ走っていった級友たち・・・。
ああ 大学入学早々、喀血してしまった青年・高見沢俊彦くん・・・。
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2006年12月17日の朝日新聞朝刊「おやじのせなか」に登場した高見沢俊彦。
翌年4月にお父さんは亡くなりました。
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アルフィー・高見沢、父の告別式「覚悟は出来ていました」
3人組バンド、THE ALFEEのリーダー、高見沢俊彦(53)の父で先月28日に老衰のため亡くなった元中学教師の高見澤榮さん(享年93)の告別式が3日、埼玉県内で行われた。
葬儀は親族の意向により非公開で営まれたが、高見沢は告別式終了後に「高齢のため、ある程度の覚悟は出来ていましたが、それでもたくさんのことを思い出します」とコメントを発表。告別式にはメンバーの坂崎幸之助(53)、桜井賢(52)も参列した。
高見沢は「現在制作中のソロアルバムを良い作品に仕上げることと、アルフィーのツアーを成功させることが一番の供養」と、4日も鳥取・米子でアルフィーのライブを行う。
(2007/5/3 サンケイスポーツ)
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大学入学早々、猛勉強がたたってか、突然、血を吐いた高見沢俊彦少年…。
映画「風立ちぬ」のように、高原のサナトリウムに入院しなければならないのでしょうか?
♪ 高見沢の命は~ひこうき雲~
「おやじのせなか」に出て来る原宿のアパートは、ワタシも行ったことがあります。
竹下通りを進み、ほぼ明治通り近くまで行った右側だったと思います。
木造アパートの一階で、入口が三和土(たたき)で畳敷きの部屋でした。
テレビからだったか、当時流行していた「いちご白書をもう一度」が流れてきました。
たぶん、昭和50年(1975年)か翌年のことになります。
「いちご白書をもう一度」が、荒井由実が提供した曲だとは当時ほとんど知られていませんでした。
「就職が決まって 髪を切ってきた時 もう若くはないさと 君にいいわけしたね」
という歌詞のところで、
高見沢俊彦は「転向の歌だ。俺はぜったい転向しないからな」と、
ポツリとつぶやいたのを覚えています。
すでに大学は中退し、音楽の道へ進んでいました。
さてさて、昭和48年(1973年)、大学入学早々に喀血した高見沢クンの健康状態は、
その後、どうなったのでしょうか?
「サワー」ってご存知ですか? 今でいうチューハイです。
高見沢は、大学入学早々のコンパで「サワー」を注文したそうです。
場所は、新宿の日鶏園( 東京都新宿区新宿3-12-12 TEL・予約 03-3354-1977)
ネット検索したら、今もまだ同じ場所で営業しているようです。
なんと…大学入学早々の高見沢少年は「サワー」に添えられていた着色されたサクランボを齧り、酔って気分が悪くなり洗面所へ行き、戻した真っ赤なサクランボに驚き
「血~吐いた」と大騒ぎしたのだそうです。 チャンチャン
・・・うむ?
下の写真は、なんだろう?
1974年の年賀状と封書だな・・・。渦巻きがかかっている。
なにか重要なことが書いてあるのかな?
(拍手が多ければ、きっとこの渦巻きが消えると思う・・・)ニンマリ
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