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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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慶應義塾中等部

中学校の道路向かいの建物に見覚えがあったので勝手に調べてみました。                             中学校のロケ地は三田にある慶應義塾中等部です。
門柱と校舎は現存のようです。

日活映画「敗れざるもの」は平河町全共連ビルから始まる



東京オリンピックが終わったばかりの1964年(昭和39年)10月30日に公開された日活映画「小さき闘いより 敗れざるもの」。


お抱え運転手・石原裕次郎が社長夫人を送った建物入り口には「松屋サロン」の文字。
この年にできたばかりの全共連ビルです。現在は建替えられJA共済ビルカンファレンスホール(東京都千代田区平河町2-7-9)になっています。
JA共済ビルカンファレンスホールには松屋サロンは入っていないようですが、全共連ビルの入り口にあった彫刻は、入り口北側に残されています。








写真は「空撮ダイナミック東京」(アテネ書房 1989年より)




奥さま三宅邦子を降ろした後、天体観測が好きな中学生の息子小倉一郎と共に銀座へ向かいます。左側に電通銀座ビル(東京都中央区銀座7-4-17)。右側には銀座ヒデ美容室と銀座WEST。隣の第一銀行の看板が出ているのは日本軽金属のビル。後にリクルートの建物となり現在もあります。
電通の横にヴィクトリア洋菓子店という看板が見えます。
この後、角から段ボールを載せたリヤカーが現われます。当時は古新聞なども現金回収。ちり紙交換が都心部の住宅地で始まったのが、ちょうどこの頃です。




銀座に到着。松屋サロンに続きデパートも松屋を利用します。



左側に松屋、右側に三越の角をクルマは進み、ここを左に曲がると松屋の駐車場です。



ところが、クルマは三和銀行の横を右へ曲がってしまいます。 あらら・・・




スカイパーキングとなっている立体駐車場。実は石原裕次郎が入ろうとすると後ろからクラクションを鳴らし追い越そうとした柄の悪い客がいますが、石原裕次郎に睨み付けられ退散します。
右折したのは間違いではなく、どうも、ここは三越の駐車場だったように見えます。
左手の建物が三越駐車場隣王子製紙の建物に見えますし、当時の航空写真を見ると松屋は立体駐車場ではないように見えます。




松屋の天体望遠鏡売り場で注文していた望遠鏡を受け取った石原裕次郎と小倉一郎。すれ違う松屋店員は若き日の谷隼人さん。映画「東京五輪音頭」にも出ていました。




小倉一郎が自宅で倒れ、医師大坂志郎が自宅に往診に来ました。大阪志郎は帰路、クルマの中で天体望遠鏡を見た小倉一郎の目に異常があったように感じたと石原裕次郎から聞き、別の病気を疑い自宅へ引き替えさせます。左側が、現在の東建インターナショナルビル(東京都渋谷区渋谷2-12-19)がある場所。当時は長井家のお屋敷で青山学院の外国人教師宿舎でした。正面はこの年に出来たばかりの日本生産性本部ビル(渋谷区渋谷3-1-1)。生産性本部ビルはATG映画「黒木太郎の愛と冒険」などにも出て来ます。







自宅の戻り、小倉一郎の視覚を検査した大阪志郎は病院での検査を勧め、そのまま夜の渋谷を石原裕次郎運転のクルマで病院へ向かいます。
宮益坂を登り青山方向へ走る自動車は渋谷仁丹ビル横を走ります。現在、徳真会クオーツタワー (渋谷区渋谷2-10-10)というクリニックセンターになっています。



到着した病院は中央敬愛病院。飯田橋にあった厚生年金病院(現在は地域医療機能推進機構東京新宿メディカルセンター、東京都新宿区津久戸町5−1)に似ている建物ですが、あまり自信なし。断定は出来ません。




余談ですが、この映画の家政婦役田中筆子さん。荻窪駅から電車に乗ってくるのを幾度か見掛けました。荻窪に住んでいたのでしょうか?




小倉一郎が通っている中学校・・・。



どこかで見たような校舎なのですがわかりません。







脳腫瘍の手術後、一旦退院し学校にも通い出した小倉一郎。体育は見学ですが、試験で100点を取ったと石原裕次郎にクルマのなかで伝えます。
クルマの向こうに見えるのは高層ビルになる前の都道府県会館。





渋谷東急文化会館屋上の五島プラネタリウムを訪れた後、屋上に出ました。




右後ろには建築中の渋谷東急プラザが見えます。




再度入院した小倉一郎は病院の屋上に出ます。
おそらく左後方が都心部。世田谷区か目黒区ではないかと思います。



都心側に共同住宅がある配置は自衛隊中央病院(東京都世田谷区池尻1-2-24)に似ていますが、どうも違うように見えます。




屋上で祭り囃子が聞こえ、石原裕次郎が祭り見物へ誘い、当時のアメリカ大使館宿舎と氷川神社らしき光景が一瞬うつり、赤坂氷川神社のロケになります。










元赤坂からホテルニューオータニへと出る道路。左側の赤坂御用地風景はいまも変わりません。



余命少ないことを知った小倉一郎はいろいろ見ておきたいと語り、石原裕次郎は上野の博物館や国立競技場、多摩川の新幹線鉄橋横などに連れて行きます。

地下鉄工事現場で石原裕次郎は昔の知人と再会。奥を都電が通ります。
昭和39年で工事中の地下鉄といえば、東西線でしょう。門前仲町あたりでしょうか?










         


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