昭和48年の高見澤俊彦からの手紙、最終ページに出てくる謎の10円玉・・・・
実はワタシもよくおぼえてはいないのですが、高見澤たちが入学した明治学院大学英文科の講義をTOKUSABUROさんが覗きに行ったことは手紙の内容からして間違えありません。
講義内容は不思議と覚えていて「英語音声学」とかいう内容で、割合大きめの階段教室でOHP(あるいは当時はまだスライドだったかな?)を使い男性の教授が講義してました。翌年、その先生が筑波大学に転任したという話をE組のS君から聞いたのを何故かおぼえています。
イメージとして、下の写真の大河原忠蔵先生みたいな雰囲気の教授だったと思います。
大河原忠蔵先生は、明治学院高校の現代国語の先生でした。昨年2016年に亡くなったそうです。大正生まれだとばかり思っていたのに、昭和生まれでワタシたちが習った時はまだ40代だったと訃報で知りました。
おそらく、今もそうだと思いますが、目黒駅発品川駅経由大井競馬場行きという都バスがあり、このバスが明治学院の正門前で停まります。このバスが学バスで通常のバス料金より安くなっていました。
当時のワンマンバスはまだ釣り銭が出ず、硬貨をくずす両替機があり、百円玉などをくずした後で料金箱に入れるシステムだったと思います。両替できるのは硬貨だけで紙幣の場合は両替すら出来なかったのは、平成になってから新宿駅西口発晴海埠頭行きのバスに乗ろうとして千円札で払えますかと聞いたら、紙幣は使えないからあるだけでイイから料金箱に入れてと言われたのをおぼえているので間違えありません。
明治学院大学英文科の講義を視察したTOKUSABUROさん、おそらく帰りに目黒駅まで行く学バス料金の小銭か、あるいは紙幣も持ち合わせず心やさしい高見澤さんに立て替えてもらったのでしょう。
律儀なTOKUSABUROさん、手紙の便箋で50円玉を鉛筆でこすり高見澤さんへの手紙に添えて送ったのですよ。ケケケ
学バス割引があることを高校卒業して忘れてたんです、きっと。
すると、生真面目な高見澤さんは学バス割引があるからと10円玉を鉛筆でこすり返金してくれたのだと思います。心温まる話ですなァ・・・。
以上、8月22日発売「オール讀物9月号」掲載、高見沢俊彦「音叉」とはまったく関係ない無駄話でした。ナハハ
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