日本映画専門チャンネルで「
東京五輪音頭」を見ました。
冒頭、築地の中央卸売市場の外観が映し出されます。
せりに参加する十朱幸代さんの隣のアンチャン、みたことがある顔ですね。
字幕に名前は出ないけど、谷隼人さんでしょ。
築地の水産市場ではなく、
現在の朝日新聞横にある青果部仲卸市場を舞台にしているようですが、
電車のガード下みたいな場所がうつるし、
神田青果市場の前掛けをしている人もいます。
市場場内の撮影は秋葉原にあった神田青果市場で行ったのではないでしょうか。
十朱幸代さんが締めている前掛けは「中埜酢店 ミツカン酢」と入っているので、
おそらく、酒屋さんへの販促品でしょうが理由はわかりません。
市場の場外は築地市場で、三波春夫の「松寿司」も魚河岸フードセンターの中にあります。
十朱幸代さんが築地の場外を歩く場面では、探検帽を被った警察官が横についています。
自転車に乗って後をつけてくる人たちがいますが、これは町内によそ者が現れた時に、
縄張り意識の強い土地でよく見られた光景で、1970年代はじめまでみられた光景。
(野坂昭如の釜ケ崎探訪ルポに記述があります)
東宝映画「お嫁においで」でしたか、黒沢年男が毎朝築地の水産市場から
魚を仕入れる人たちを送迎するタクシー運転手を演じていました。
1960年代に、毎朝、四谷駅まで通っていましたが、朝の通学時間が、ちょうど築地での
仕入れを終えた人たちが四ツ谷駅に到着する頃。
魚屋さんや板前さんだったのでしょうが、この人たちはすれ違う通行人たちに啖呵を切り、
怒鳴りながらすれ違って行きました。
当時は、それがいなせだったのでしょうが、今の基準でいえば、ほとんどチンピラ。
築地の水産市場場内は、今では外国人観光客が沢山訪れる名所らしいけれど、
当時は女優を使って映画のロケーション撮影ができるような場所ではなかったはずです。
十朱幸代さんは、青果市場で働くかたわら大学のプールで練習をする水泳の五輪候補選手。
(学籍はないらしい)
競泳の練習をしているプールに、ポータブル蓄音器を持って泳ぎに来たのは山本陽子さんたち。
ポータブル蓄音器は電池式ではない様子でコードを伸ばす場面があるが、
これ電気窃盗だろ。
山本陽子さんは、この大学の文学部3年生で、日本舞踊の名取。
アルバイトで芸者もしているそうです。
芸者のアルバイトに人力車で向かう山本陽子さん。
右横に「浅草橋会館建設用地」の看板。正面は電車のガード。
東京都台東区柳橋1丁目1-15の浅草橋産業会館でしょうか?
山本陽子さんが振り返っているのは、先ほど「松寿司」で見かけた眼鏡を掛けた男性が、
ランニングシャツに短パン姿で競歩をしながら歩いて行ったから。
この男性、山本陽子さんが帰った後、財布を忘れた。明日、代金を持ってくると衣服を預け、
ランニングシャツに短パン姿で、先ほど競歩しながら築地の場外を出発しました。
翌日、二人は大学構内の水飲み場で出会い、同じ大学の学生だとわかります。
この男子学生は農学部4年の阿部と自己紹介します。
現在、インターネットでこの映画の配役をみると、
山田吾一が阿部弘という役名で出演したことになっていますが映画には出ていません。
当初、山田吾一が演じるはずだった役が沢本忠雄にかわったのだと思います。
先ほどのプールのロケ地なんですが、農学部4年の阿部でピンときて
明治大学生田キャンパスをグーグルの空撮で見てみました。
谷を切り開いてつくったプールなので、都心からはやや離れているところだと思いましたが、
明治大学生田キャンパスに、現在もよく似た造りの屋外プールがあります。
ブラジルでコーヒー農園を経営して成功し、東京オリンピック見物のため日本へ戻ってきた岡村文子さん。
東京上空の遊覧飛行をしますが、真っ先にうつるのは日活ホテル(日活国際会館)。
さすが日活映画。この後、東京見物しブラジルに持ち帰るため、いすゞの自動車を買うし、
映画はモノクロで製作費をあまりかけていない上に、結構タイアップ広告を入れています。
沢本忠雄さんが扮する「農学部4年の阿部」の実家は、佃島に今もある佃煮「
天安」という設定。(これはタイアップしていないと思います)
佃大橋を建設中の撮影らしく、完成予想図らしき看板が天安の斜め前にあります。
山内賢さんを頼って上京してきた女性が、この天安で働くことになります。
その女性が、当初間違えて乗車してしまった都電からの風景。
「GOLDEN AKASAKA 地下鉄赤坂見附際」という看板と、ちんどん屋さん。
青山通りか溜池あたりの風景でしょうか。
三波春夫の「東京五輪音頭」は東京オリンピックのために作られた曲です。
しかし、残暦板に「東京オリンピックまで、あと○○日」と表示しながら、
国民への広報で、幾度も繰り返しテレビやラジオで流されたのは
三浦洸一の「この日のために」でした。
東京オリンピックの4年前が「60年安保」。
安保闘争が終わると、まるで60年安保の反動のように世の中が右傾化します。
当時の少年サンデー・少年マガジンを見ても、太平洋戦争の話ばかりでした。
「この日のために」も、ほとんど戦時中の軍歌みたいな曲でしょう。
西暦1940年(昭和15年)、この年が皇紀2600年。
本来、東京オリンピックは、この年に開催されるはずでしたが戦争で中止となりました。
宮崎駿「風立ちぬ」に出てくるゼロ戦は、
この2600年に採用されたため零戦(れいせん)と呼ばれたのが本来の名です。
敗戦を体験した大人たちにとっては、
昭和39年の東京オリンピックは大東亜戦争の仇打ちだったのだと思います。
映画「東京五輪音頭」の中でも、
十朱幸代のオリンピック代表候補水泳強化合宿参加に反対する祖父上田吉二郎に、
三波春夫扮する松寿司の店主が
「何とかしてニッポンの名誉…戦争で負けたニッポンが、
なんとかしてここ一番と自分たちの息子や娘を大きな拍手とともに送りだそうとしてるんだ。
それがなぜオヤジさんにはわからねぇ」というセリフがあります。
なお、上田吉二郎さんが十朱幸代の父親はオリンピックのマラソン候補選手だったが、
それがために体こわして死んじまったといいますが意味不明。
インターネットのエイガ・コムであらすじを読んでわかりました。
雑誌「近代映画」に連載された原作では、ベルリン五輪マラソン代表選考に漏れ、
酒に溺れて亡くなったという設定なのですね。
この映画、見てもわかるようにアサヒビールがタイアップしているので、
酒びたりは避けたのでしょう。
映画「東京五輪音頭」のラストシーンは、「江ノ島マイアミビーチサマーオープニングショー」会場で三波春夫が歌う場面。
「江ノ島マイアミビーチ」というのは、今も藤沢市が7月に行っているイベントらしい。
この映画、東京オリンピックのひと月前9月9日に公開されたそうですが、
服装も夏服だし2カ月くらいで撮影したのではないでしょうか。
三波春夫が映画のクライマクスで先ず歌う歌は、東京五輪音頭ではなく「俵星玄蕃」。
赤穂浪士の討ち入りにちなんだ話です。
昭和16年生まれの宮崎駿監督が、東映動画に就職したのが、この映画の昭和39年。
飛行機が好きな一方で、東映動画の労組活動家で、
大東亜戦争は侵略戦争だと公言していることも仄聞しています。
韓国では、宮崎駿「風立ちぬ」は侵略戦争讃美の映画だという批判があるそうです。
この映画「東京五輪音頭」と、宮崎駿監督「風立ちぬ」は見る人によって、
ずいぶん受け止め方が違ってしまう映画だと思います。
[10回]
PR