映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)
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バス停のロケ地は韮山の蛭ヶ島公園(ヒルガシマコウエン)付近だったのですね。
(グーグルマップの蛭ケ島公園となっている場所はストリートビューでみると何もなく蛭ケ島茶屋となっている場所に石碑もあります)
さらに追伸をいただきました。
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charleyさんからメールフォーム経由でコメントをいただきました。
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初めて投稿します。本件のロケ地で中等の実家でゴマをする場面があります。場所は伊豆市函南町平井ですね、実家がロケ場所が近いので見に行ったのを覚えています。その頃は小学校5~6年かな・・植木さんは忙しいのか早々に退散しましたね。
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実は、この場所は以前、スタソポーロさんから拍手コメントで照会されワタシも気になっていた場所です。
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2015-03-21 10:10:59 「日本一のゴマすり男」目高邸ロケ地から見える二子玉川園 スタソポーロ すばらしい!私は56歳のおっさんんです。当時は小学校の1年生。誰もが21世紀は科学と宇宙の時代を信じていた時代。「日本一のゴマすり男」の冒頭のシーンですが、じつに長閑な田舎の風景が印書的。こちらのロケ地がわかりましたらうれいいです。今後のサイト充実を応援します!
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charleyさんに再度教えを請うたところ、詳しく教えて貰えました。
先ずはこのバス停。ロケーション撮影用にバスを手配し撮影したものだと思っていたのですが、実在するバス停の場所で撮影されたのだそうです。
そして、そのバス停は現在もあるというではありませんか・・・。
バス停留所の名前は「畑毛温泉入り口」!!
グーグルのストリートビューからピックアップした現在の「畑毛温泉入り口」の画像がこちらです。周りには建物が建ってしまいましたが、確かにストリートビューで進むと左手のふたつの山が見えます。
「日本一のゴマすり男」は昭和40年(1965年)5月公開。半世紀の間に、これだけ風景は変わってしまったのですね。ビックリ(後日訂正を入れました → ★)
植木等さん(役名は中等:なかひとし)は画面の右方向へ進んだ様子。
石碑があるところを通り、その向こうに学校と体育館らしき建物が見えます。
グーグルアースで「畑毛温泉入り口」から追っていくと、体育館は現存する函南町立東小学校の体育館と思われます。
この石碑のうちひとつが函南町平井の天地神社入り口にある石碑と似ていますが、函南町平井は函南町立東小学校の更に先(グーグルアースでいうと画面上方)になり、映画で映るふたつの山との位置関係が違ってしまいます。
函南町畑毛のほかの神社・名跡のものかと思い探して見ましたが、いまだわかりません。
映画ロケ地律法学の権威・荻窪東宝さんや麻布田能久さんは、こういう時、必死になって探し出し解明してから記事アップしますが、いい加減の国からいい加減をひろめに来た宣教師TOKUSABUROさんは、こういうとき、charleyさん、ここどこですか?と平気で尋ねてしまいます。
さて、中等の実家です。吉川満子さんが演ずる母親中節子さんは助産婦さんの看板を出してます。
charleyさんの説明に戻ります。
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その家は増改築をしていますが、ありますよ!
中等がゴマをする場面では道沿いを背にしてます。ここで、重要なポイントは富士山をバックにゴマをする場面を監督は狙ってロケ地と決めたと思います。
ですが、当日は晴天でロケ日和と思いきや、肝心の富士山が霞んでいたと思います。現地の人は、「晴天時の富士山は霞む」ことは知っていましたからね~
私は、この映画を観たのが一度ですのでハッキリ覚えて(※痴呆が邪魔して)いませんが、冒頭シーンなのか、一本道のバスから降りるシーンがあったような
この場所は、函南町平井の近くに「畑毛温泉があり、温泉入り口付近」かと、現在は撮影時期は道の両際は田んぼに覆われ田園風景でしたが、今は造成が進み当時と隔たりを感じます。
余談ですが、この函南町付近は「隠密剣士」のロケ地でもあり、皆さんご存知の「七人の侍」の丹那がありますね~また思い出しましたら一報させていただきます。
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charleyさんはグーグルのストリートビューでロケ地を特定してくれましたが、個人住宅なので画像にしてアップします。(でも、わかるヒトにはロケ地が特定出来ますね)
このお宅だそうです。
映画撮影時には、道路の向こうに富士山が見えますが、現在は竹藪になっていて道路からは富士山は見えません。でも、ストリートビューで少し進むと今でもちゃんと富士山が見えます。
ゴマをする中等は、ゴマをする力を入れすぎスリバチを割ってしまいます。
その時の植木さんの表情に続き映画タイトルが出ます。
charleyさん ありがとうございました。今後ともヨロシクお願いします。
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「日本一のゴマすり男」大手町ビル屋上ロケ場面。
眉子(浜美枝)さんに呼びかけられ振り向く中等(植木等)さんの向こうに
2つのビルディングが見えます。
南側(写真左側)の建物が東京貿易会館。北側の建物が東京都立産業会館という名前だったらしい。
両方とも、東京都の施設で1954年に建てられ1979年3月に老朽化を理由に閉館しています。
(たったの24年半で閉館。役所の建物は昔からこういうことがあったのですね)
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産業貿易センターについて - 東京都立産業貿易センター
http://www.sanbo.metro.tokyo.jp/about_sanbo.html
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その後、土地ごと売却され、この建物ふたつの跡地に大手センタービルが建てられました。
(1983年オープンらしい)
映画を撮影した1965年当時、このふたつの建物の北側は青空駐車場。
1970年当時の写真でも同様です。
この場所は1973年に三和銀行の建物が建てられました。
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解体される大手町の 『旧三和銀行東京本店ビル』 ~大手町再開発1-1計画~
http://blog.goo.ne.jp/abe-blog/e/79a701c232d6475d08ef98386bbd2c2c
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1973年の地図では東京貿易会館と東京都立産業会館の西側(皇居側)は、
国際自動車となっていて、その西側の角に丸の内消防署。
1975年の地図では、丸の内消防署は現在の場所に移転しています。
その後、この場所は大洋漁業(マルハ)の本社がありました。
おそらく、この一区画はすべて東京都の敷地だったのを切り売りしたのでしょう。
現在、大手センタービル以外の三和銀行東京・マルハ本社だったところを
三菱地所が取得し再開発しています。
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「(仮称)大手町1-1計画」について ~丸の内再構築 - 三菱地所
http://www.mec.co.jp/j/news/pdf/mec120611_1.pdf
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1985年の「ぴあmap」です。
三和銀行東京の北側は、有名な「平将門の首塚」がある一角です。
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【ファイルET63】2012.05 07 平将門の首塚は魔都東京一のパワースポット(上)
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53268939.html
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大手町のこの辺りは、関東大震災後、霞が関に移転する前の官庁街で、
この場所には大蔵省があったそうですが、1940年6月20日 皇紀二千六百年などと浮かれ、
平将門の怒りに触れたようで、全焼してしまいました。
下の写真は「決定版 昭和史」(毎日新聞社)より
現在、旧日本長期信用銀行本店(その後、大手町パルビルという名前だったらしい)も、旧三井生命本社(今は大手町三井ビルと呼ぶらしい)も三井不動産が取得し、大手町パルビルはすでに取り壊し開始。
大手町三井ビルはフロアごとに賃貸し、まだしばらく貸すようです。
1960年の映画「サラリーガール読本 お転婆社員」。
高校からの親友、星由里子さんと浜美枝さんが建設会社に就職する映画です。
この映画は、会社ロケ地が東京貿易会館と東京都立産業会館。
就職した会社が建設会社で、ビル工事現場が出てきますが、
そのロケ地が旧日本長期信用銀行本店(大手町パルビル)です。
「サラリーガール読本 お転婆社員」には、当時の東京では有名だったのに、
今ではネット検索しても出てこない、あの場所でのロケーション撮影もあります。
眉子さん(浜美枝)を怒らせてしまった中等(なかひとし:植木等)、
そうか、オヤジがいつもオフクロに使ってたあの手か…。
大手町ビル屋上を走り出します。
芝浦のヤナセ本社ビル立体駐車場のスロープを駆け上がります。
私の高校の体育教師が、植木等は百メートルを11秒台で走り、
当時の学生陸上では名が知れた選手だったといっていました。
眉子さんにひたすら謝る中等。モノレールの向こうに建設中なのはパナソニックの看板がある建物
(興和三田ビル)でしょうか。
出発進行
工事現場らしきクレーンと、右側にはビルディングがあります。
高速道路のインターチェンジで、いきなり左寄せ。 アブナイダロ
白バイ警官(谷啓)が走ってきました。
この白バイ、本当に転倒したのか演技なのか、白バイを転倒させた直後にするりと起こします。
荻窪東宝さんは演技ではなくハプニングだろうとの判断です。
いずれにせよ、すごいオートバイ操縦技術の持ち主。丸顔なのですが谷啓さん本人じゃないですよね。
車内を覗くと、中等は眉子さんと接吻(じつは頬っぺたを重ねているだけの生真面目な演技)。
呼びかけに応じぬので、リアウインドに「駐車違反」の紙を貼るとクルマはするすると走り出します。
そのあと、前方に停まっていたパトカーも走り出すでしょう。
あのパトカーは撮影現場を監視していたのでしょうか? 見るたびに気になります。
(補足)荻窪東宝様より以下の御意見をいただきました。
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谷啓の白バイ警官のことですが、私は谷啓自身がバイクを走らせてきて、停めたと思ってます。
体型的な特徴や身のこなし、谷啓さんそのものですし、あのコケそうでいて、かろうじてコケない停め方は、やろうと思って出来るものではないように思えます。
あれをNGにしたら、もう一度バイクを同じ方向に環状線を走らせて来なくてはならなくなるし、そうそう長時間、高速上での撮影許可は出なかったのではないでしょうか。パトカーが去っていくのは警察が立ち会ったのではないかと思ってます。いくらなんでも無許可で白バイの走行はマズイです。
コケそうになったのは予期せぬ事態だったけど、OKにせざるをえなかった、むしろあれも面白いのではないか、という判断だったのでは、と想像しています。
谷啓さんは出演者にクレジットされていないとのことです。
ラストシーンで谷啓さんを不意に登場させて観客を驚かせようとする狙いだったかもしれませんね。
しかし、この作品、クレージーで出演していないのはハナ肇さんだけなんですよね。他は全員出ている。だから、急に谷啓さんが出てきたからといって、それほど効果は無いような気がしないでもないですけど。
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ラストシーン「日本一のゴマすり男」のタイトルが出て、この後「The end」。
正面のビルをごらんください。三洋貿易と書いてありますね。
「『日本一のゴマすり男』目高邸へのドライブコース、ロケ地を走ろう」に出てきた三洋貿易ビルが、
今度は西側から再登場です。
「日本一のゴマすり男」ラストシーンのロケ地は、当時の気象庁北側と如水会館の間あたりに位置する
一ツ橋インターチェンジだったのです。
加藤嶺夫さんが昭和44年4月20日にパレスサイドビル屋上から撮影した気象庁の写真が、
「東京の消えた風景」(小学館)に載っていて、このロケ地を確認できます。
グーグルのストリートビューで、映画「日本一のゴマすり男」ラストシーンのロケーション場所を辿ってみました。
一ツ橋インターチェンジ合流地点からみると、こんな感じです。
三洋貿易ビルの跡地に建てられた三洋安田ビルは西隣にもビルディングが建っているため、
直接はうつりません。
荻窪東宝さんによると、首都高速5号池袋線は映画「日本一のゴマすり男」公開当時は、
まだ開通していなかったそうです。
だからこそ、高速道路上にクルマを停めてのラストシーンが撮影出来たのですね。
(開通前の高速道路は道路法上の道路ではないから「駐車禁止」は成立しないのではないか)
もう少し接近してみました。
谷啓さんが白バイで追いかけてきたのは、現在のパレスサイドビル方向からですね。
当時のクレーンはパレスサイドビル建設工事現場。右手に見えた四角い建物は科学技術館でした。
なぜ、芝浦から出発したのにラストシーンは西から走ってきたのでしょう。
まず上野毛の目高邸へ婚約の報告に行った帰りだったに違いありません。
律義な中等と眉子さんなのでした。
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