先日、NHKBSプレミアムでデジタルリマスター版「ゴジラ」を見ました。
画質がかなり改善されていました。
ゴジラが東京湾で上陸したのは
芝浦岸壁付近という設定です。
昭和30年(1955年)当時の芝浦近辺の地図です。当時は芝浦岸壁に防波堤があったのですね。
写真は昭和45年(1970年)当時の芝浦岸壁です。
現在は、この場所で
「ゆりかもめ」がループしています。
昭和61年(1986年)当時の地図。
「『日本一のゴマすり男』植木等・二瓶正也カーチェース場面ロケ地を辿る」で触れましたが、カーチェイス場面では、この横の高速道路を走り抜けています。
上陸したゴジラは、先日、山手線新駅設置計画が発表されたJRの車両基地付近で通過する東海道線を脱線させた後、
札の辻交差点へ向かいます。
山根恭平(志村喬)博士、山根恵美子(河内桃子)さん、尾形秀人(宝田明)さん達が、上陸したゴジラの様子を高台にある板塀の前に立ち尽くし見守っていますが、おそらく
港区立三田中学校並び三田東急アパートメントあたりという設定ではないでしょうか。
田町駅周辺は明治になるまで芝浜海岸でした。
三菱自動車工業本社が入っている
第一田町ビル(東京都港区芝5−33−8)が、江戸湾からそのまま船を乗り入れることが出来た薩摩藩蔵屋敷。
慶應3年末に
薩摩藩上屋敷が襲撃された時、上屋敷から蔵屋敷へ逃げてきた薩摩藩士たちは芝浜の漁民たちの漁船を使い、沖で待つ薩摩藩の船に避難したそうです。
薩摩藩蔵屋敷で西郷隆盛と勝海舟が
江戸無血開城を決めた会談を行ったのは、翌慶應4年3月のことです。
落語「芝浜」は、時刻を間違え早朝市が開く前にやってきた魚屋が革財布を拾う話ですが、芝浜は漁民たちが当時日本橋にあった魚市場に魚を卸した後、売れ残った魚を夕方(といっても午後3時頃)に地元でアウトレットセールをする雑魚場(ざこば)で朝は開いていませんでした。
白金の八芳園は大久保彦左衛門の屋敷跡だそうです。一心太助は架空の人物だそうですが、芝浜の雑魚場で魚を仕入れ高輪から白金あたりで商いをしていたのでしょうか。
三菱自動車工業本社が入っている
第一田町ビルの横に、
本芝公園という公園があります。
この公園が昭和45年(1970年)に埋め立てられて出来るまで、最後まで残った芝浜の海岸でした。
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