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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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「若い川の流れ」石原裕次郎は自由が丘「馬里邑」横で公衆電話を借りる

 前回の川地民夫出演場面、四谷外濠グラウンドへ行く前ですが、石原裕次郎・北原三枝はビルディングの屋上を歩きます。
二人の勤務先は、この映画の2年前に出来た大手町ビルディングが映し出されますが、屋上場面は日比谷の日活本社屋上。現在、ペニンシュラ東京になっている場所です。



不二越ビル(現フジコシビル)屋上にあった森永の地球儀広告塔、東芝のマツダビルなどがうつっています。




上京した両親がタクシーに乗るのを見送った石原裕次郎は、道路を渡り「すいません 電話貸して下さい」果物屋さんの女性は「どうぞ」と応じます。昭和34年当時、店先の公衆電話を使うとき、わざわざ声を掛けるのがマナーだったのでしょうか。


果物屋さんの両側に「馬里邑」の文字。果物屋さんは「馬里邑」角の部分だけ使っている様子。
「馬里邑」のサイトをみると、昭和36年に田園調布に移転したそうですが、この時はまだ創業した自由が丘にあります。




右奥に「都寿司」の看板があるので場所がわかりました。



都寿司はすでに閉店している様子ですが、グルメサイトで住所が出て来ます。
東京都目黒区自由が丘2-11-1
自由が丘駅前のこの場所で、石原裕次郎は電話を借りています。





昭和の終わり当時の地図をみると、この店舗の左側、現在薬屋さんになっている場所にあった「越後屋」さんは果物屋さん。越後屋さんが最初に出店していた場所が、この角地だったのでしょうか?










      

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