映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)
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やっと、到着した若大将 「おい やめろ やめろったら」
青大将「あッ 若大将 よく来てくれた」
ところが、若大将は「やめろ」と言った口先も乾かぬうちに、西北大学の学生を突き飛ばします。
相手の学生はよろけて、
集団乱闘が発生しているプールサイド脇を、のんびり乳母車を押しながら歩く女性に当たります。
澄子さん「あッ!!」
プール方向へ向かう乳母車。
若大将、乳母車を止めようとして プールにザブン。
澄子さん「どうも 本当にありがとうございました」
若大将 「僕も一瞬どうなるかと思いました」
(あの、乳母車を危険に晒す原因を作ったのは若大将ですけど。二人とも勘違いしてませんか?)
若大将「おい こんなところで喧嘩する奴があるか 他の人に迷惑がかかるじゃねえか」
(最初に青大将を突き飛ばしたのは西北大学の連中です)
青大将「だってよォ 止めなきゃ みんなやっつけちゃったよ 俺」
江口「ばか言うなよ 若大将が来なかったら客観的にみて まったく危ないところだったぞ」
青大将「客観的にかよ」
若大将シリーズの脚本を担当した田波靖男さんの著書「映画が夢を語れたとき ― みんなが「若大将」だった。『クレージー』だった」によると、「ハワイの若大将」完成後、星由里子さんから「一度でいいから澄子さんと青大将が結ばれる結末にしてほしい。だって、あんなに尽くしてくれる男性なんていやしない」と懇願されたそうです。
本当は星由里子さんも青大将ファンだったのですね。
(↓)この話…以前、荻窪東宝さんか麻布田能久さんが書いていたと思います。
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ロケ地として、ミワが映画館のスクリーンに登場
1966年東宝映画「レッツゴー!若大将」で、若大将:田沼雄一(加山雄三さん)のマドンナ役:澄子さん(星由里子さん)が勤める、宝石専門店坂本(宝石専門店ミワ)として登場。
写真左は当時、開店前にせっせと掃除する澄子さん。
NHKワシントン支局長 田中淳子さん。
NHK初の女性ワシントン支局員、シドニー支局長を経て、これまた初の女性ワシントン支局長となりました。国内では、京都議定書COP3を定めた京都会議の取材などでも活躍していました。
若大将シリーズで、我らが青大将を演じた田中邦衛さんの娘さんです。
田中淳子さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%B7%B3%E5%AD%90
「東京人2013年6月号」に、「アベノミクスとタヌマノミクス 田沼意次の経済政策の功罪 談・安藤優一郎」という記事が載っています。
加山雄三さん扮する若大将田沼雄一の「若大将シリーズ」が大人気になったのは、東京オリンピック反動不況「40年不況」から回復した昭和41年。
映画「若大将シリーズ」は昭和46年で終わりますが、「若大将シリーズ」がリバイバル上映され人気となったのは、オイルショックからの回復期、昭和50年。
もしかすると、「若大将シリーズ」が、また人気復活するのでしょうか?
映画「帰ってきた若大将」は、「若大将シリーズ」が終わってちょうど10年後、昭和56年の作品。
ヒロインは、先日亡くなった坂口良子さん。この映画の時期も、やや景気回復期でした。
この後、平成4年にテレビドラマ「社長になった若大将」が放送されましたが、この時はバブル経済がはじけたことを、そろそろ世間全体が認識しはじめた時期でした。
「社長になった若大将」も視聴率が伸びず、途中で打ち切られました。
しかし、社長秘書役で蓮舫が出てきたり、松嶋菜々子のテレビドラマ第一作だったり、今となっては見モノです。
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