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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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ブラボー若大将 麻布「田能久」はソ連大使館の隣にあった

東新橋の「大東京信用組合本店」前を走る若大将。

この映画は1970年(昭和45年)1月1日公開。
今もある、この大信の看板はすでに1960年代の終わりにはあったのですね。
修繕したり代替わりしているのでしょうが、40年以上に渡り、ほぼ同様のデザイン。
たいしたもんです。



外務省飯倉公館を通過し、…この右側の建物は当時なんと言ったのでしょう?
現在は、日本郵政東京支社と麻布郵便局となっています。
以前の名称は郵政本省飯倉分館庁舎などと幾度か変わっていますが、
元々は1930年(昭和5年)に建てられた逓信省貯金局だったそうな。
(東京都港区麻布台1−6−19)


池田信さんが撮影した写真を収録した「1960年代の東京」(毎日新聞社)の
写真説明(74ページ)では「旧逓信省簡易保険局」となっていますが、
これはこの建物より南寄り、港区三田1丁目にある建物
(現在、かんぽ生命保険東京サービスセンターというらしい)と
混同しているのではないでしょうか。



信号を右折して「田能久」の暖簾がある木造建築。








お店の横にバイクを置き、横の玄関から入っていきます。




現在、ここには麻布アメレックスビル(東京都港区麻布台3丁目 5-7)という賃貸ビルがあります。

ネット検索すると、1988年07月竣工となっていますが、
1986年の地図にすでにアメレックスビルという表示があります。
いずれにせよ、昭和の終わりには、すでに映画に出てくる木造建築はなかったのですね。

映画では写りませんが、画面手前左側は、当時のソ連大使館(現ロシア連邦大使館)。
当時は、右翼のオジサンの街宣車活動の聖地でした。









拍手[8回]

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東宝映画「南太平洋の若大将」映画プログラム(パンフレット)1967年



同時上映「その人は昔」



10拍手以上の場合、映画プログラム中味も公開します。

(ブログ更新の手抜きをしてると気付いたあなたは、ねじけた性格の持ち主です)

拍手[14回]

東宝映画「レッツゴー!若大将」田沼雄一、青大将に責任転嫁の巻

やっと、到着した若大将 「おい やめろ やめろったら」

青大将「あッ 若大将 よく来てくれた」

ところが、若大将は「やめろ」と言った口先も乾かぬうちに、西北大学の学生を突き飛ばします。



相手の学生はよろけて、
集団乱闘が発生しているプールサイド脇を、のんびり乳母車を押しながら歩く女性に当たります。



澄子さん「あッ!!」



プール方向へ向かう乳母車。
若大将、乳母車を止めようとして プールにザブン。



澄子さん「どうも 本当にありがとうございました」
若大将 「僕も一瞬どうなるかと思いました」

(あの、乳母車を危険に晒す原因を作ったのは若大将ですけど。二人とも勘違いしてませんか?)


若大将「おい こんなところで喧嘩する奴があるか 他の人に迷惑がかかるじゃねえか」

(最初に青大将を突き飛ばしたのは西北大学の連中です)

青大将「だってよォ 止めなきゃ みんなやっつけちゃったよ 俺」

江口「ばか言うなよ 若大将が来なかったら客観的にみて まったく危ないところだったぞ」

青大将「客観的にかよ」




若大将シリーズの脚本を担当した田波靖男さんの著書「映画が夢を語れたとき ― みんなが「若大将」だった。『クレージー』だった」によると、「ハワイの若大将」完成後、星由里子さんから「一度でいいから澄子さんと青大将が結ばれる結末にしてほしい。だって、あんなに尽くしてくれる男性なんていやしない」と懇願されたそうです。

本当は星由里子さんも青大将ファンだったのですね。


   


(↓)この話…以前、荻窪東宝さんか麻布田能久さんが書いていたと思います。
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ロケ地として、ミワが映画館のスクリーンに登場


 http://miwaj.com/about


1966年東宝映画「レッツゴー!若大将」で、若大将:田沼雄一(加山雄三さん)のマドンナ役:澄子さん(星由里子さん)が勤める、宝石専門店坂本(宝石専門店ミワ)として登場。
 写真左は当時、開店前にせっせと掃除する澄子さん。


 

拍手[11回]

東宝映画「レッツゴー!若大将」田沼雄一は稀代の方向音痴



マネージャー江口が、青大将が西北(大学)の連中たちと喧嘩はじめそうだと若大将に電話してきます。
 


赤坂プリンスホテルのプールサイドで、唯の一勝で大喜びするのはどうかと思うと、西北の連中たちに理性的に説いて聞かせる青大将。

なお、赤坂プリンスホテルのプールは、電話を架けている向こうに見える当時の赤坂プリンスホテル新館の南側(玄関は北向き)にあったので、江口さんがいくら電話ボックスから覗いても、青大将の様子は見えません。



若大将がスクーターで駆けつけます。
が…玉川通り渋谷駅東側を世田谷方向に向け走っています。

左端の建物は東急プラザ、その横に見える丸いドームが東急文化会館屋上にあった五島プラネタリウム。
電光時計のあるビルが山一証券が入っていた名取ビル。


右側後方に東京相互銀行渋谷支店が見えます。
桜丘の東急電鉄本社ビル横あたりを走っています。

区画整理されてしまいましたが、現在だと概ねこのあたりです。



ところが次の場面では原宿方向から代々木の体育館横を走っています。

玉川通りを走っていて逆方向と気付き左折したのは良いものの、大回りして原宿あたりに出てしまったようです。思うに、玉川通りを青葉台左折で山手通りに入り、富ヶ谷左折で原宿に行ってしまったのではないでしょうか?



若大将、代々木第二体育館を背に、現在の公園通り(当時は区役所通り)に入ります。
映画では映りませんが、この左側に渋谷公会堂と渋谷区役所があります。
渋谷公会堂と渋谷区役所は、すでに建替えが決まっています。



その間にも、我らの青大将は西北の連中たちに暴行されています。
映画をみれば一目瞭然。先に手を出したのは西北の連中たちです。



若大将は弁慶橋を清水谷方向から走ってきました。
渋谷宮益坂から青山通りをまっすぐ来ればよいものを、また道を間違えたようです。
仮に青山通り青山一丁目辺りで左折しちゃったとしても、外堀通り元赤坂に出られますから、この画面左側から来るはずです。外堀通り紀之国坂から清水谷に入ってしまったのでしょうか?


若大将後方に見える建物は、麹町の弘済会館。この映画の後、この道は拡張され弁慶橋も現在は当時の倍ぐらいの幅になっています。



このスクーター、田能久のロゴが横に入っていますね。
お店のスクーターを勝手に私用で持ち出してはいけません。

赤坂見附。正面が現在サントリーホールがあるところ。



同じく赤坂見附。正面が現在、赤坂エクセルホテル東急があるところ。
以前は赤坂東急プラザホテルでした。
ホテルって、なんでちょこちょこ名前を変えるのだい?


衆議院議長公邸前で左折です。

当時はスクーターはウインカーランプだけでなく、左折する時に手で合図しなければならなかったのでしょうか?




諏訪坂を曲がります。左側が赤坂プリンスホテルプールです。



赤坂プリンスホテルプールに到着です。1時間はかかったな。



(つづく)

拍手[6回]

若大将シリーズ青大将、田中邦衛さんのお嬢さんNHK田中淳子さん

NHKワシントン支局長 田中淳子さん。

NHK初の女性ワシントン支局員、シドニー支局長を経て、これまた初の女性ワシントン支局長となりました。国内では、京都議定書COP3を定めた京都会議の取材などでも活躍していました。

若大将シリーズで、我らが青大将を演じた田中邦衛さんの娘さんです。




田中淳子さん
  
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%B7%B3%E5%AD%90

 

拍手[11回]

東京人6月号「アベノミクスとタヌマノミクス」若大将の経済政策?




「東京人2013年6月号」に、「アベノミクスとタヌマノミクス 田沼意次の経済政策の功罪 談・安藤優一郎」という記事が載っています。

加山雄三さん扮する若大将田沼雄一の「若大将シリーズ」が大人気になったのは、東京オリンピック反動不況「40年不況」から回復した昭和41年。

映画「若大将シリーズ」は昭和46年で終わりますが、「若大将シリーズ」がリバイバル上映され人気となったのは、オイルショックからの回復期、昭和50年。

もしかすると、「若大将シリーズ」が、また人気復活するのでしょうか?

映画「帰ってきた若大将」は、「若大将シリーズ」が終わってちょうど10年後、昭和56年の作品。
ヒロインは、先日亡くなった坂口良子さん。この映画の時期も、やや景気回復期でした。

この後、平成4年にテレビドラマ「社長になった若大将」が放送されましたが、この時はバブル経済がはじけたことを、そろそろ世間全体が認識しはじめた時期でした。
「社長になった若大将」も視聴率が伸びず、途中で打ち切られました。
しかし、社長秘書役で蓮舫が出てきたり、松嶋菜々子のテレビドラマ第一作だったり、今となっては見モノです。

社長になった若大将1

社長になった若大将2













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