映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)
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以下の拍手コメントを、オークランド在住の榎本さまからいただきました。
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とても楽しく拝見させて頂きました。 自分はオークランド在住ですので、ニュージーランドの若大将のロケ地を捜してみました。 01:07:42のパレードはオークランドタウンホールの時計台からクイーンストリートを北に向います。Google のストリートビューで303Queen street を検索すると時計台が見えます。 01:08:58青大将と節っちゃんとダーリン(江口)が絡むシーンはwaterloo QuadrantとPrincess Streetの交差点です。Hotel Inter Continentalは現在Pullman Hotel住所Cnr Princes St and Waterloo Quadrant になっています。 01:10:16この時のパレードはSt. Marys BayのShelly Beach Roadを北に向かいます。St.Stephen Presbyterian Churchの塔が画面左上に見えます。 01:10:25青大将と節っちゃんが走っている場所は28 Shelly Beach Road,St.Marys Bay です。二人が会話する場面にある二股電柱は今でも健在です。
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ありがとうございました。
さっそく、ネット上で探訪させていただきました。
01:07:42のパレードはオークランドタウンホールの時計台からクイーンストリートを北に向います。Google のストリートビューで303Queen street を検索すると時計台が見えます。
上の映画の場面が、グーグルストリービューだと、このあたりでしょうか?
左端の建物が、マクドナルドの赤旗の隣のビルですね。
01:08:58青大将と節っちゃんとダーリン(江口)が絡むシーンはwaterloo QuadrantとPrincess Streetの交差点です。Hotel Inter Continentalは現在Pullman Hotel住所Cnr Princes St and Waterloo Quadrant になっています。
当時のシェラトンは現在はPullman Hotelになっているのですか。
この後の場面をみると「PAN AM」の看板が映るので、東宝とオークランドのシェラトンはパンアメリカン航空の紹介だったのでしょうか?
下の写真で右手奥に写っている建物も現存しているようですね。メデタシ メデタシ
日本ではシェラトンホテルは開業時から昭和の終わり頃までホテルニューオータニに半額出資していました。
現在は港区白金の都ホテル東京がシェラトンになっていますね。
都ホテル東京は、元は藤山愛一郎邸があったところです。
先週金曜日に発売された雑誌FRIDAY2014年9月12日号に「空撮!ついに売却された服部セイコー創業家の白金5000坪大邸宅」という記事見出しがありますが、服部禮次郎邸は
都ホテル東京の道路北側です。
三光創業(服部家の資産管理会社)の白金分室という扱いになっていました。建物は都ホテル側の道路からは見えません。
売却されて今後どうなるのでしょうね。
01:10:16この時のパレードはSt. Marys BayのShelly Beach Roadを北に向かいます。St.Stephen Presbyterian Churchの塔が画面左上に見えます。
なるほど、この先が尖った塔の教会ですね。
01:10:25青大将と節っちゃんが走っている場所は28 Shelly Beach Road,St.Marys Bay です。二人が会話する場面にある二股電柱は今でも健在です。
ジャジャ~ン、大感激!!
この電信柱ですね。28という番地もグーグルストリービューで確認できました。
この左右の電信柱は、かたちが違いますね。
これ1本だけ当時と同じかたちで残っているということは、当時の電信柱がそのまま今も残っているのでしょうか?
節子さん(酒井和歌子)が、若大将と一緒にパレードしているのを見てむくれてしまう金髪の女性はジェシカ・ピーターズさんという方だったそうです。
映画の出演記録は、日本ではこれ一本しか残っていません。
当時の外国人芸能人モデルは、ほとんどが神宮前にあったエディアラブ・プロ所属でした。
エディアラブさんは1925年生まれ。インド人と日本人のハーフで立教大学卒業。ご自身もタレント・モデルとして活動していました。
ジェシカ・ピーターズさんも日本で活動する外国人タレントだったのでしょうか?
ご存知のかた、教えてください。
節子さんの二股電柱がいまだに残っているとなると、荻窪東宝さんや麻布田能久さんが現地調査に行きそうですね。(笑)
オークランド在住の榎本様、貴重な情報ありがとうございました。
赤坂の街へ夜廻りに出た若大将、田沼雄一。男女が乗ったオートバイに追い抜かれます。
オートバイから降りた二人が入った店は「SNACK BAR」という普通名詞か屋号か不明な店舗。
若大将の後ろにトンネルみたいなものが見えます。
氷川公園地下の駐車場(赤坂パーキングセンターというらしい)だと思います。
すると、「SNACK BAR」の建物は「ホテル シャンティ赤坂」(港区赤坂2-16-15)が
建っている場所ではないでしょうか?
「SNACK BAR」の外壁が「ホテル シャンティ赤坂」の道一本北側角にある「串あげ 福の神」という看板が出ている店舗に似ていますが、一本北側の道からだと、地下駐車場入口がこの角度では撮影できません。
悲鳴を耳にした若大将。残念ながら、この場所がどこかわかりませんが、右側にある石垣は氷川公園ではないでしょうか?
澄子さんを無理矢理クルマに乗せようとしているのは、青大将曰く「アカマムシ」という奴だそうです。
紹介が遅れましたが、「SNACK BAR」の前に停めてあるスポーツカーは、青大将のクルマ。
オートバイから降りた二人が「SNACK BAR」に入った後、入れ違いに出てきた青大将と顔を合わせています。
青大将がひるんだ隙にクルマを発進させたアカマムシ。
若大将は青大将のクルマを借り追いかけます。
都築設計事務所という看板が出ているところでアカマムシに追いつき、澄ちゃんを奪い返しました。
「送りましょう」と青大将のクルマに乗せられ、澄ちゃんは「福吉町のガソリンスタンドに勤める越川澄子です」と自己紹介。
ところが、帰りにスピード違反と車両改造(青大将がマフラーを外していた)で検問に引っかかります。
下の昭和38年の航空写真で説明しましょう。
①がTBS東京放送の社屋。
②の現在、国際新赤坂ビル東館の場所には、赤坂自動車練習場がありました。昭和46年の地図には載っていますが、昭和48年の地図では、赤坂自動車練習場の表示はありません。
③が氷川公園。★をつけたあたりが「SNACK BAR」ロケ地と思われる場所です。
④が氷川小学校。現在は「港区立赤坂子ども中高生プラザ」という施設になっています。
⑤の場所は、後に日本ユニバック(現:日本ユニシス)が本社を建てたところ。
1970年代はじめに建てた本社ビルは移転し、現在は「赤坂タワーレジデンス〜Top of the Hill」という高層マンションが建っています。
氷川小学校南側にも石垣があり、若大将が澄子さんの悲鳴を聞きつけた場所は、あるいはここだったかもしれません。しかし、石垣の組み方がやや違うように思えます。
⑥は霊南坂教会。澄ちゃんが勤める「福吉町のガソリンスタンド」は、すでに荻窪東宝さんが
「聖地巡礼」で巡礼されています。アークヒルズの区画整理に伴い、ガソリンスタンドはすでにありません。
映画の中で、この後、若大将が「福吉町のガソリンスタンド」を訪れた時、ガソリンスタンドの後ろに、霊南坂教会の塔の屋根がうつります。
この出光のガソリンスタンドの所在地は、福吉町ではなく道路の反対側、麻布谷町です。
なんで、澄ちゃんは若大将に「福吉町」といったのでしょう?
福吉町は麻布谷町との間を走る都電の停留所の名前。
「日本一の色男」で白川由美のマンションは材木町だという台詞がありますが、
この当時は、東京都心部のおおよその場所を、最寄りの都電停留所の名で言い表していたのですね。
アークヒルズの地上げの様子は、NHKの「メッシュマップ東京」(1974年11月13日放送)
というテレビ番組に出てきます。
そのうちインターネットでオンデマンドで見られるようになるかもしれませんが、
埼玉県川口市のNHKアーカイブスなど、全国のNHK施設でも見ることができます。
下の写真は1970年当時の航空写真を拡大してみました。
1980年11月の三浦友和・山口百恵の結婚式で有名になった、
当時の霊南坂教会も1985年にアークヒルズの区画整理の一環で取り壊されました。
現在の霊南坂教会は換地され、この当時よりやや東側に南北に細長く建っています。
氷川公園から氷川小学校の横を通ると、確かに当時の都電福吉町停留所に出ます。
この映画の岩内克己監督の性格なのでしょうか、ロケーション地点の位置設定も厳密ですね。
さて、帰りに若大将が検問で停められた場所はどこでしょう?
警察官が懐中電灯を振り停車を指示する場所は、横に「SNACK BAR」らしき建物がありますが、その後、白っぽい柵が右側にあるところを通ってクルマを停めます。
この白っぽい柵の向こうが赤坂自動車練習場で、検問の警察官たちが座っているところの背後が、現在、国際新赤坂ビル西館が建つ国際自動車の建物ではないかと思うのですが、どうでしょう。
なお、カーチェイス場面で道路脇に赤い提灯がある通りは、氷川町ではなく、
おそらく、みすじ通りあたりの映像を組み合わせたはずです。
また、氷川町でも人通りが少ない日曜日か深夜に撮影された様子で、カーチェイス場面では、近くに議員宿舎があるためか横の路地にパトカーらしき車輛が待機しています。
先日、赤坂へ行きgoogleストリートビューに写っていた物干し台をみてきました。
コインパーキングだったところは、すでに建設工事が始まっていました。
右横のビル一階もNTTドコモから「てもみん」というお店に変わっていました。
CoCo壱番屋になっているところか、この建設工事現場が「中央軒煎餅」で、
写真右側のビルのさらに右側が「アマンド」だったと思います。
「てもみん」の横を入ると、「てもみん」の裏が「壌『泡』組」という店舗。
沖縄料理の店らしい。
Googleのストリートビューでコインパーキングの後ろに見えた物干し台は「壌『泡』組」の隣の建物にありました。
この建物は一階が「ちゅうかそば さかいや」二階が「古母里」という飲食店。
3階が住居でその上に物干し台ですが、昭和42年当時にすでに建てられていたかは微妙です。
旅館「田川」跡地と思われる場所には、元の和風の建物外観を残し「赤坂 美料 あけち」という懐石料理屋さんとネット赤坂ビルが建っています。
後日、麻布田能久さんが映画でうつる建設中のビルディングに着目。
(麻布田能久さん作成)
この建物は、鹿島建設本社ビルに違いないと断定されました。
たしかに、この後の若大将と澄ちゃんが弁慶橋付近を歩く場面でも
建設中の鹿島建設本社ビルが大きくうつります。
(麻布田能久さん作成)
鹿島建設本社ビルの位置も含めて推定すると、TBS会館前の一ツ木通り沿いではなく、その一本東側、赤坂3-12あたりではないかという指摘で、荻窪東宝さんも同意されました。
北側角に赤坂四方(よも)という酒屋さん(現在もあります)。
隣がAKASAKA KANという貸しビルで、一階は赤坂松葉屋というテナントがあるようですね。
AKASAKA KANは昭和50年の地図では「赤坂ひろ木」となっています。
現在、「赤坂ひろ木」は港区赤坂2-14-8に移転しているようです。
この場所は、以前は寿司屋さんなどがあったような気がしますが記憶があいまい。
次回は夜回りをしている若大将が澄ちゃんと出会うスナックのロケ地を、また当てずっぽうで探したいと思います。
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