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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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東宝の映画ではパンアメリカン航空で海外旅行した

昭和の東宝現代劇映画、社長シリーズや若大将シリーズでの海外ロケーション撮影には必ずと言ってよいほどパンアメリカン航空が協力していました。
「アルプスの若大将」「南太平洋の若大将」では澄子さんはパンアメリカン航空のスチュワーデス。「アルプスの若大将」では大相撲の表彰式で有名なパンアメリカン航空極東地区広報担当支配人デビッド・ジョーンズさんも特別出演しています。

あまり深い意味はなく、東宝直営の帝国劇場が入っている国際ビルヂングにパンアメリカン航空の日本支社も入居していたことからタイアップ広告スポンサーになったのではないでしょうか。
東宝映画に出てくるビールはアサヒビールだったのと同じです。

東宝映画でも「サラリーガール読本お転婆社員」は東京貿易会館が本社ロケ地として使われていて、最後に海外へ転勤する場面でスカンジナビア航空の旅客機が映し出されます。これは東京貿易会館1階にスカンジナビア航空の事務所が入っていたからでしょう。



上の広告はパンアメリカン航空が太平洋路線をユナイテッド航空に売却し、日本から撤退した時、全国紙各紙に掲載した広告(1986年2月12日付)です。



この二枚はパンナムから太平洋路線を買い取ったユナイテッド航空が同時期に週刊誌に掲載したものです。



下の写真は「日本一のゴマすり男」大手町ビル屋上ロケシーンで映る東京貿易会館。右端にSASスカンジナビア航空の看板が映っています。





      


      



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東宝映画「レッツゴー!若大将」ラストシーン羽田空港送迎デッキ

ブログ記事「レッツゴー!若大将」田沼雄一、青大将に責任転嫁の巻」に、浅見さんというお名前で「映画ラストシーンの場面が出ない」という拍手コメントをいただきました。
三ツ沢公園球技場でのサッカー試合に勝った後、若大将と澄子さんが羽田空港からパンアメリカン航空で香港へ帰国する美芳・呉隆を見送る場面でしょうか?









この当時の羽田空港ターミナルは取り壊されて現在はありません。


「山渓カラーガイド23 カラー東京」(1969年)に当時の羽田空港ターミナルビルの案内図解があります。
下は1986年の地図です。60年代よりは拡張されています。




1973年の送迎デッキ入場券裏側です。若大将と澄子さんが見送る横に23というスポット番号があります。1973年当時は22までしかありませんが、映画撮影時に23番スポットがあったのでしたら、おそらくNo.3フィンガーになっていたと思います。




見送る二人の背後には管制塔があります。二人で歩いて行く場面の横は順路という矢印表示があります。ふたつあった国際線送迎デッキのうちNo.3フィンガーから見学案内所付近で撮影されたと思います。
当時のターミナルがあった場所は天空橋駅の東側、現在、東京国際空港広域避難場所となっている辺りになります。 この辺りです→ 


   




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「ニュージーランドの若大将」オークランドの二股電柱は今でも健在

以下の拍手コメントを、オークランド在住の榎本さまからいただきました。

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とても楽しく拝見させて頂きました。 自分はオークランド在住ですので、ニュージーランドの若大将のロケ地を捜してみました。 01:07:42のパレードはオークランドタウンホールの時計台からクイーンストリートを北に向います。Google のストリートビューで303Queen street を検索すると時計台が見えます。 01:08:58青大将と節っちゃんとダーリン(江口)が絡むシーンはwaterloo QuadrantとPrincess Streetの交差点です。Hotel Inter Continentalは現在Pullman Hotel住所Cnr Princes St and Waterloo Quadrant になっています。 01:10:16この時のパレードはSt. Marys BayのShelly Beach Roadを北に向かいます。St.Stephen Presbyterian Churchの塔が画面左上に見えます。 01:10:25青大将と節っちゃんが走っている場所は28 Shelly Beach Road,St.Marys Bay です。二人が会話する場面にある二股電柱は今でも健在です。
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ありがとうございました。
さっそく、ネット上で探訪させていただきました。

01:07:42のパレードはオークランドタウンホールの時計台からクイーンストリートを北に向います。Google のストリートビューで303Queen street を検索すると時計台が見えます。

 

上の映画の場面が、グーグルストリービューだと、このあたりでしょうか?
左端の建物が、マクドナルドの赤旗の隣のビルですね。

 

01:08:58青大将と節っちゃんとダーリン(江口)が絡むシーンはwaterloo QuadrantとPrincess Streetの交差点です。Hotel Inter Continentalは現在Pullman Hotel住所Cnr Princes St and Waterloo Quadrant になっています。

 

当時のシェラトンは現在はPullman Hotelになっているのですか。
この後の場面をみると「PAN AM」の看板が映るので、東宝とオークランドのシェラトンはパンアメリカン航空の紹介だったのでしょうか?


下の写真で右手奥に写っている建物も現存しているようですね。メデタシ メデタシ

 

日本ではシェラトンホテルは開業時から昭和の終わり頃までホテルニューオータニに半額出資していました。
現在は港区白金の都ホテル東京がシェラトンになっていますね。
都ホテル東京は、元は藤山愛一郎邸があったところです。
先週金曜日に発売された雑誌FRIDAY2014年9月12日号に「空撮!ついに売却された服部セイコー創業家の白金5000坪大邸宅」という記事見出しがありますが、服部禮次郎邸は
都ホテル東京の道路北側です。
三光創業(服部家の資産管理会社)の白金分室という扱いになっていました。建物は都ホテル側の道路からは見えません。
売却されて今後どうなるのでしょうね。




01:10:16この時のパレードはSt. Marys BayのShelly Beach Roadを北に向かいます。St.Stephen Presbyterian Churchの塔が画面左上に見えます。

なるほど、この先が尖った塔の教会ですね。




01:10:25青大将と節っちゃんが走っている場所は28 Shelly Beach Road,St.Marys Bay です。二人が会話する場面にある二股電柱は今でも健在です。



ジャジャ~ン、大感激!! 
この電信柱ですね。28という番地もグーグルストリービューで確認できました。
この左右の電信柱は、かたちが違いますね。
これ1本だけ当時と同じかたちで残っているということは、当時の電信柱がそのまま今も残っているのでしょうか?
節子さん(酒井和歌子)が、若大将と一緒にパレードしているのを見てむくれてしまう金髪の女性はジェシカ・ピーターズさんという方だったそうです。
映画の出演記録は、日本ではこれ一本しか残っていません。
当時の外国人芸能人モデルは、ほとんどが神宮前にあったエディアラブ・プロ所属でした。
エディアラブさんは1925年生まれ。インド人と日本人のハーフで立教大学卒業。ご自身もタレント・モデルとして活動していました。
ジェシカ・ピーターズさんも日本で活動する外国人タレントだったのでしょうか?
ご存知のかた、教えてください。

 

節子さんの二股電柱がいまだに残っているとなると、荻窪東宝さんや麻布田能久さんが現地調査に行きそうですね。(笑)

 オークランド在住の榎本様、貴重な情報ありがとうございました。



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東宝映画「狙撃」加山雄三が新幹線を狙ったビル屋上

先月、テレビ朝日「若大将のゆうゆう散歩」で、有楽町を取り上げていました。


 

昭和43年の映画「狙撃」で、加山雄三さんが新幹線に乗るターゲットを狙撃した場面のロケ地を、あのビルだと指さしていました。



このビルは、オリックス不動産投資法人の「ORE有楽町」(東京都千代田区有楽町2-3-5)。
(2014年2月から「aune有楽町」に名称変更したようです)

オリックス不動産投資法人のサイトを見ると、2007年に建てられたと記されています。




以前、JR東日本が各駅に置いていた「駅とタウンガイド」の有楽町駅を見てみましょう。
すでに東京国際フォーラムが建っているので、1997年以降の撮影です。



現在、ORE有楽町があるところに建っているビルディングは、確かに建物のかたちも似ていますが、以前の地図を見ると「隆和ビル」という名称です。
ロケーション撮影で使われたのは、この「隆和ビル」だったと思います。

余談ながら、「『続・サラリーマン忠臣蔵』赤穂産業屋上が『妖星ゴラス』にも登場していた」で触れた東宝本社屋上の神社が、この写真にも写っています。




Youtubeに、加山雄三さんが語っていた狙撃場面がありました。



下は映画「狙撃」公開の2年後、1970年当時の有楽町の写真です。



隆和ビルの屋上北側にあった日劇方向を向いていた広告看板の下に隠れて狙撃したようです。



下の動画もYoutubeにありました。






追伸
朝日新聞に毎週土曜日折り込まれている「Be」で、2月15日に「(映画の旅人:上)「エレキの若大将」〈1965年〉」を取り上げていました。有料になりますが、ネットでも読めます。










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「海の若大将」青山ユアーズの隣にあったガソリンスタンド

昭和40年(1965年)の映画「海の若大将」。
青山にあったスーパーマーケット「ユアーズ」が実名で登場します。



店内で見掛けた老人が通行量の多い青山通りを渡れず立ち往生しているのを見た若大将、
道を渡るのを手伝います。
(この当時は、まだ歩行者道路横断禁止ってなかったのでしょうか?)




道路を渡り終わろうという時、ダンプカーと言い争いになります。



表参道交差点、富士銀行横で若大将と江口を待ち伏せしていたダンプカー運転手たち。



表参道交番(写真右手)の裏で喧嘩を始めましたとさ。




ユアーズの隣にあった、三菱石油のガソリンスタンドは、20世紀終わり頃までありました。



昭和の終わりか平成のはじめ頃、このガソリンスタンド横にプリペイドカード式のコカコーラ自動販売機が設置されました。

そういう見慣れぬものを見つけると、すぐ買ってみるミーハーな奴がバブルの頃にはいたのですよ。

その場で、1本買ってみて・・・。
数ヵ月後、また行くと・・・自動販売機はプリペイドカードが使えぬものに変わっていました。



読者プレゼントのお知らせ。
この貴重なコカコーラユーカード(残高400円)をご希望の方にお譲りします。
最低入札価格5000円からとします。奮ってご応募ください。





Wikipediaによると、ユアーズ社長夫人は浅田康子さんという元女優さんだったそうです。
確かに昭和40年代の地図を見ると浅田ビルとなっています。
ユアーズの左隣の鈴木硝子店(ビルは建替えたけど、現在もあります)の前から、
二人で道路を渡ろうとしますが、ここ今まであった横断歩道が消されたみたいに見えません?
ユアーズが開店したのに、横断歩道の場所を移されてしまった。
浅田康子さんのそんな苦情を聞いた東宝映画が、わざとこのシナリオを書いたような気がしませんか??

三菱石油のガソリンスタンドは赤坂寄りのビル2軒と併せて、現在はワールド青山ビル(港区北青山3-5-10)になっています。

・・・400円返せ  ブツブツ







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「ゴーゴー若大将」澄ちゃんと宮下公園でブランコに乗ろう

渋谷から若大将・田沼雄一に電話をし「さよなら」と告げた越川澄子さん。
渋谷宮下公園に、青大将・石山新次郎を呼び出します。




下は、1960年11月撮影の写真。
(「鉄道と街 渋谷駅 渋谷駅開業100周年記念出版」大正出版 1985年より)

すでに渋谷川が暗渠になり、その上に公園が造られています。
三和銀行が現在の「109MEN'S」。
その向こうに住友信託銀行(三井住友信託銀行)、安田火災海上(損保ジャパン)という並びは、現在も同様です。



地上部分を駐車場にし、その上を公園にしたのは、昭和39年(1964年)東京五輪を機会にして。
この当時の宮下公園は、原宿の代々木体育館・渋谷公会堂にも近く、横には東京都児童館も出来、かなりモダンな公園でした。

昭和40~41年当時、東京都児童館、NHK放送センター(現在のスタジオパーク)、科学技術館などは無料だったので、日曜日に小学校の友達らでよく行きました。



「ゴーゴー若大将」は、昭和42年の大晦日封切り。
この後、昭和43年をピークに大学紛争が起こり、1970年代に入ると内ゲバ化します。
大学紛争当初は、明治公園や清水谷公園がデモや集会の拠点でしたが、70年代になると宮下公園も拠点となります。
この頃から、宮下公園は整備・清掃が放置され荒れて行きます。

70年代に入ると、映画ロケどころか通行人もあまり通らなくなり、その後、立体式公園にした当時植えた樹木は伸び、バブル経済崩壊後はブルーシートのホームレス住宅が立ち並びました。



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11月8日発売の廉価版「若大将シリーズ」映画は以下の通りです。


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「ゴーゴー若大将」 スミコ 渋谷へ行く

若大将の自宅、赤坂の田能久を訪ねたところ、先客芸者の京奴(浜木綿子)を息子の婚約者と勘違いした若大将の父・牛太郎(有島一郎)にお引き取りくださいと言われ、ショックを受け、そのまま帰路についた越川澄子(星由里子)。



赤坂見附方向から走って戻ってくる若大将に気付き、スミちゃんは咄嗟に住友生命赤坂ビルの柱の陰に隠れます。

(写真提供:麻布田能久さん)


スミちゃんは、この柱のかげに隠れたのですね。



現地撮影時、若大将がスミちゃんに気付かず走って帰宅した道を、46年後、黒い刺し子半纏を纏った男性が歩いて行きました。
半纏の背中には「あかさか」という刺繍が入っていました。




牛太郎の勘違いで澄子さんを追い返してしまったと気付いた雄一。
そこに澄子さんが電話をしてきます。
「ワタシ急に用事ができちゃったの。さよなら」。



澄子さんが公衆電話をかけてきたロケ地は渋谷ですね。
下の写真は昭和40年10月9日撮影。
かまぼこ型の東横線プラットホームと高速道路の角右側です。池田信さんの写真、昭和36年の「渋谷駅東口」にも写っています。
現在、六本木通りという名がついている道路が、この高速道路下を山手線ガード下を潜り、玉川通りにつながっていますが、六本木通りは昭和39年の東京五輪開催決定後、急遽整備された道路。
山手線ガード下を潜る道路も、その時造られました。
本来の玉川通りはハチ公前からガード下を潜り、宮益坂経由で青山通りへつながっているだけでした。



写真を拡大してみましょう。
現在、スミちゃんが公衆電話を架けたロケ地には、一階に山下書店が入ったビルディングが建っています。(渋谷区渋谷3-19
山下書店の前のテナントはパチンコ屋さん、その前は新日本証券が入っていた、このビルディングは昭和50年ごろには、すでにありました。

しかし、池田信さんの写真「焼肉天安館 稲荷橋」同様、昭和40年時点でも、まだ建っていません。この場所に公衆電話があると見立ててロケーション撮影したものと思います。
昭和40年時点で角になる建物(カネイチビル)は現在もありますが、山下書店が入っているビルディングとの間には稲荷橋があり、ここは東横百貨店納品口などへつながり結構クルマが通ります。



この後、スミちゃんは青大将を呼び出しますが、今日はちょっと余談を…。
渋谷駅西側、住友銀行の看板がある東急プラザの高速道路のさらに右側、「クレージーの怪盗ジバコ」で、浜美枝さんが屋上にプレハブを建てて住んでいる建物を挟んで二又路になっています。
その西側の一角に注目。
上の写真だと自動車が停まっているようにも見えますし、ビルの陰に建物があるようにも見えます。
昭和40年の日活映画「青春前期 青い果実」
太田博之は父内藤武敏と猿楽町あたりのアパートに住んでいます。
親子で買い物をしている姿をみつめる同級生・梶芽衣子(当時はまだ太田雅子)。
この肉屋さんのロケ地は、この二又路の西側角ではないでしょうか?

ちなみに、山一証券の手前角にある酒屋さんが、現在は貸しビル専業にしてしまったようですが、滝沢酒店。
この建物北側が忠犬ハチ公終焉の地です(当時の朝日新聞に載っています)。













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「ゴーゴー若大将」赤蝮に誘拐された澄ちゃんを助けに行こう

赤坂の街へ夜廻りに出た若大将、田沼雄一。男女が乗ったオートバイに追い抜かれます。
オートバイから降りた二人が入った店は「SNACK BAR」という普通名詞か屋号か不明な店舗。



若大将の後ろにトンネルみたいなものが見えます。
氷川公園地下の駐車場(赤坂パーキングセンターというらしい)だと思います。
すると、「SNACK BAR」の建物は「ホテル シャンティ赤坂」(港区赤坂2-16-15)が
建っている場所ではないでしょうか?

「SNACK BAR」の外壁が「ホテル シャンティ赤坂」の道一本北側角にある「串あげ 福の神」という看板が出ている店舗に似ていますが、一本北側の道からだと、地下駐車場入口がこの角度では撮影できません。




悲鳴を耳にした若大将。残念ながら、この場所がどこかわかりませんが、右側にある石垣は氷川公園ではないでしょうか?



澄子さんを無理矢理クルマに乗せようとしているのは、青大将曰く「アカマムシ」という奴だそうです。
紹介が遅れましたが、「SNACK BAR」の前に停めてあるスポーツカーは、青大将のクルマ。
オートバイから降りた二人が「SNACK BAR」に入った後、入れ違いに出てきた青大将と顔を合わせています。

青大将がひるんだ隙にクルマを発進させたアカマムシ。



若大将は青大将のクルマを借り追いかけます。
都築設計事務所という看板が出ているところでアカマムシに追いつき、澄ちゃんを奪い返しました。
「送りましょう」と青大将のクルマに乗せられ、澄ちゃんは「福吉町のガソリンスタンドに勤める越川澄子です」と自己紹介。

ところが、帰りにスピード違反と車両改造(青大将がマフラーを外していた)で検問に引っかかります。




下の昭和38年の航空写真で説明しましょう。
①がTBS東京放送の社屋。
②の現在、国際新赤坂ビル東館の場所には、赤坂自動車練習場がありました。昭和46年の地図には載っていますが、昭和48年の地図では、赤坂自動車練習場の表示はありません。
③が氷川公園。★をつけたあたりが「SNACK BAR」ロケ地と思われる場所です。
④が氷川小学校。現在は「港区立赤坂子ども中高生プラザ」という施設になっています。
⑤の場所は、後に日本ユニバック(現:日本ユニシス)が本社を建てたところ。
1970年代はじめに建てた本社ビルは移転し、現在は「赤坂タワーレジデンス〜Top of the Hill」という高層マンションが建っています。
氷川小学校南側にも石垣があり、若大将が澄子さんの悲鳴を聞きつけた場所は、あるいはここだったかもしれません。しかし、石垣の組み方がやや違うように思えます。
⑥は霊南坂教会。澄ちゃんが勤める「福吉町のガソリンスタンド」は、すでに荻窪東宝さんが
「聖地巡礼」で巡礼されています。アークヒルズの区画整理に伴い、ガソリンスタンドはすでにありません。

映画の中で、この後、若大将が「福吉町のガソリンスタンド」を訪れた時、ガソリンスタンドの後ろに、霊南坂教会の塔の屋根がうつります。

この出光のガソリンスタンドの所在地は、福吉町ではなく道路の反対側、麻布谷町です。
なんで、澄ちゃんは若大将に「福吉町」といったのでしょう?

福吉町は麻布谷町との間を走る都電の停留所の名前。

「日本一の色男」で白川由美のマンションは材木町だという台詞がありますが、
この当時は、東京都心部のおおよその場所を、最寄りの都電停留所の名で言い表していたのですね。




アークヒルズの地上げの様子は、NHKの「メッシュマップ東京」(1974年11月13日放送)
というテレビ番組に出てきます。
そのうちインターネットでオンデマンドで見られるようになるかもしれませんが、
埼玉県川口市のNHKアーカイブスなど、全国のNHK施設でも見ることができます。

下の写真は1970年当時の航空写真を拡大してみました。
1980年11月の三浦友和・山口百恵の結婚式で有名になった、
当時の霊南坂教会も1985年にアークヒルズの区画整理の一環で取り壊されました。
現在の霊南坂教会は換地され、この当時よりやや東側に南北に細長く建っています。





氷川公園から氷川小学校の横を通ると、確かに当時の都電福吉町停留所に出ます。
この映画の岩内克己監督の性格なのでしょうか、ロケーション地点の位置設定も厳密ですね。


さて、帰りに若大将が検問で停められた場所はどこでしょう?
警察官が懐中電灯を振り停車を指示する場所は、横に「SNACK BAR」らしき建物がありますが、その後、白っぽい柵が右側にあるところを通ってクルマを停めます。
この白っぽい柵の向こうが赤坂自動車練習場で、検問の警察官たちが座っているところの背後が、現在、国際新赤坂ビル西館が建つ国際自動車の建物ではないかと思うのですが、どうでしょう。

なお、カーチェイス場面で道路脇に赤い提灯がある通りは、氷川町ではなく、
おそらく、みすじ通りあたりの映像を組み合わせたはずです。

また、氷川町でも人通りが少ない日曜日か深夜に撮影された様子で、カーチェイス場面では、近くに議員宿舎があるためか横の路地にパトカーらしき車輛が待機しています。






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「ゴーゴー若大将」見上げてごらん赤坂田能久物干し台

先日、赤坂へ行きgoogleストリートビューに写っていた物干し台をみてきました。





コインパーキングだったところは、すでに建設工事が始まっていました。

右横のビル一階もNTTドコモから「てもみん」というお店に変わっていました。

CoCo壱番屋になっているところか、この建設工事現場が「中央軒煎餅」で、
写真右側のビルのさらに右側が「アマンド」だったと思います。




「てもみん」の横を入ると、「てもみん」の裏が「壌『泡』組」という店舗。
沖縄料理の店らしい。



Googleのストリートビューでコインパーキングの後ろに見えた物干し台は「壌『泡』組」の隣の建物にありました。
この建物は一階が「ちゅうかそば さかいや」二階が「古母里」という飲食店。
3階が住居でその上に物干し台ですが、昭和42年当時にすでに建てられていたかは微妙です。





旅館「田川」跡地と思われる場所には、元の和風の建物外観を残し「赤坂 美料 あけち」という懐石料理屋さんとネット赤坂ビルが建っています。


 






後日、麻布田能久さんが映画でうつる建設中のビルディングに着目。

麻布田能久さん作成)

この建物は、鹿島建設本社ビルに違いないと断定されました。
たしかに、この後の若大将と澄ちゃんが弁慶橋付近を歩く場面でも
建設中の鹿島建設本社ビルが大きくうつります。

ゴーゴー若大将赤坂見附

 (麻布田能久さん作成)

鹿島建設本社ビルの位置も含めて推定すると、TBS会館前の一ツ木通り沿いではなく、その一本東側、赤坂3-12あたりではないかという指摘で、荻窪東宝さんも同意されました。
北側角に赤坂四方(よも)という酒屋さん(現在もあります)。
隣がAKASAKA KANという貸しビルで、一階は赤坂松葉屋というテナントがあるようですね。
AKASAKA KANは昭和50年の地図では「赤坂ひろ木」となっています。
現在、「赤坂ひろ木」は港区赤坂2-14-8に移転しているようです。
この場所は、以前は寿司屋さんなどがあったような気がしますが記憶があいまい。

次回は夜回りをしている若大将が澄ちゃんと出会うスナックのロケ地を、また当てずっぽうで探したいと思います。













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