ちょっと時間が経過してしまいましたが、夏にチャンネルNECOで放送していた日活映画「戦争と人間」。
以前も触れましたが、この映画のロケーション撮影で、アルフィー高見沢俊彦・桜井賢が高校に在籍した当時の明治学院が使われています。
左側の白い建物が、大正3年に建てられた高校の3号館(現存せず)。
中央のチャペルは今も残っていますね。
校舎が映画「戦争と人間」のロケーション撮影で使われたと教えてくれたのは、映画好きな現代国語の先生でした。
この先生は昭和47年(1972年)3月で退職し、私立武蔵高校に移ったので映画「戦争と人間」三部作のうち、1971年以前に作られた第一部か第二部だったはずだと思い、夏にチャンネルNECOを見たら、第二部「愛と悲しみの山河」に出てきました。
ただし、ずいぶん以前にテレビ放送で見たら、関東軍本部として夜間撮影で入り口側から3号館が写っていたような気がします。記憶違いかな? それとも別の場面でも使われていたのでしょうか??
第二部「愛と悲しみの山河」で映し出された関東軍本部は、いわゆる帝冠式の建物模型でした。
港で日本からやってきた佐久間良子を出迎えた北大路欣也が、明治学院の正門からの上り坂を市内に見立てて馬車で通ります。
すぐにロケ地は千鳥ヶ淵の英国大使館横に変わりますけど。
「明治学院 ベルシバ」「アルフィー ベルシバ」などの検索が結構あるので、今回はベルシバのお話など。
みんな「ベルシバ」と呼んでいましたが「ベール・シバ」が本来の名。シバは出エジプト記「シバの女王」のシバだと書いてあったと思いますが、ベールはシバの女王がつけているベール(ヒジャーブ)ではなかったような気がします。入り口に名前の由来が書いてあったけど、詳しくはおぼえていません。
下の「構内案内」図の「9.学生食堂」がベルシバ。
ただし、建物の大きさは、道路に面してもっと広く「8.インブリー館」の倍程度の細長い建物でした。
この「構内案内」は1971年の大学「白金祭」(学園祭)パンフレットから採っています。
「5.高校校舎」となっている建物は、当時の高校食堂です。
この高校食堂とベルシバは、同じ外注先が運営していました。
しかしながら、高校食堂は昼休みしか利用はないし、当然不採算だったらしく明らかに手抜き。
1970年と71年の梅雨時に二年続けて食中毒事故を起こし営業停止になりました。
さらに今は芝生になっているけど、当時は正門右側が高校の体育グラウンド。
高校食堂は、砂ぼこりも凄かった。
結局、高校生も高校食堂は、あまり利用せず弁当持参かベルシバへ行っていました。
ベルシバは大学の施設という位置づけで、高校生は利用してはいけないことになってましたが、高校生の利用もほぼ黙認でした。
大学の食堂は「18.グリーンホール」にある大学生協の中にもありましたが、高校からは離れているので、さすがに高校生はグリーンホールまでは滅多に行かなかったはずです。
下の写真は「14・大学校舎」から南側(正門)に向けて撮影したはず。
左端の「13.大学校舎」と木造の建物(「8.インブリー館」)の間、地面がやや低くなっているところが「ベルシバ」の入り口。建物手前に自動販売機とテラス席がありました。
「14・大学校舎」前のグラウンドは、午前中高校、午後は大学が使うグラウンド。
元はここに宣教師住宅があり、明治学院はここまで。現在、大学があるところは戦前は海軍墓地だったそうです(海軍墓地は規模を縮小し、現在も大学北側に残っています)
高輪消防署の横にグランドがあり、大学の体育授業はそこでやるという話は当時聞いていましたが、「構内案内」をみると「北グランド」というのも大学にはあったのですね。
いずれも現在はマンションになっている場所。
「14・大学校舎」前のグラウンドも正門脇にあった高校グランドもベルシバも現在はありません。
この写真、左上の建物は高輪プリンスホテルですよね。
まだまだ、東京の空は広かった。
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