映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)
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拝見しました!
間違いないと思います。
昭和43年の住宅地図に少し読みづらいですが駅から北へ「石井食料品店」「吉田書店」「日本土地開発」「成城化粧品」その向かいに「鈴木金物店(現マック)」の記載があります。
ただ、鈴木金物店の奥の大衆食堂らしき店の記載はなく、この時点では「三菱銀行成城支店」となってます。ロケ終了後に地上げされたんでしょうか?
いや~こんなに早く見つかるとは、素晴らしい!頭が下がります<(_ _)>
田沼牛太郎サマ
フォローありがとうございました。
金物屋さんのところには1970年代後半、洋菓子屋があったような気がします。
当時、小田急線は交通ゼネストの時も運行してて、友達の自宅に泊めて貰いに行く途中、手土産に洋菓子を買った記憶があります。
三菱銀行が割合新しいのも驚きました。三菱銀行の北側並びに「木馬」という結構大きなレストランがあったのもおぼえていますが、昭和56年の地図にはすでにありませんね。
吉田書店って、確か成城石井の北隣に古本屋みたいな小さな本屋があったのを小さいときの記憶が蘇りましたよ。
渡辺様
コメントありがとうございました。成城にお住まいだったのですか。
ワタシも吉田書店という名前は知らなかったものの、小さな本屋さんがあったのは地図を見て記憶が蘇りました。
雑誌の購入くらいはしたかも知れませんが、南口にある江崎書店の方が大きく品揃えも豊富でした。
ネット検索したら江崎書店も2009年3月末に閉店したそうですね。
吉田書店って、成城石井の並びにあった、小さな古本屋みたいな店ですよね。小学校の時に少しはいったことあります。あと、北口右横に紅花というレストランも一時期ありましたが、いつの間になくなってしまいましたね。紅花は赤色の目立つ看板だったような
>吉田書店って、成城石井の並びにあった、小さな古本屋みたいな店ですよね。小学校の時に少しはいったことあります。あと、北口右横に紅花というレストランも一時期ありましたが、いつの間になくなってしまいましたね。紅花は赤色の目立つ看板だったような
渡辺様
コメントありがとうございました。「紅花」はロッキー青木時代の店舗でしたね。ワタシも2.3回入ったことがあります。成城石井が木造からビルになった頃(1976年らしい)に開店したと思います。上の地図では「青柳」の並びにあります。現在、小田急のリフォーム&仲介があるあたりでしょうか?
本日5月7日は「東宝 昭和の爆笑喜劇DVDマガジン」vol.3「ニッポン無責任野郎」の発売日です。
正直申しまして、この映画はあまり好きではない。
「ニッポン無責任時代」がヒットし、急遽、続編を用意したのだろうが、「ニッポン無責任時代」では、主人公は会社乗っ取りを壊し、気乗りせぬ縁談を壊し恋人と結婚させるなど勧善懲悪さがあるのに、二作目はややピカレスクロマンっぽいでしょ。
それと一作目から、わずか5カ月で封切しただけあって、撮影を急いだ様子で屋外ロケ撮影が少ないのですよ。(笑)
…と言いながらも、ブログ読者の皆様にウケそうなロケ地はないかと録画してあった「ニッポン無責任野郎」を見ました。
「ニッポン無責任野郎」の冒頭場面のロケ地は、荻窪東宝さん、麻布田能久さんの優れた研究実績があるので、ここでは触れず…と思いながら見てたら、なんと…前回、世田谷区東部だろうと勝手に勘ぐった吉田書店のお隣さん「日本土地開発株式会社」が成城学園前駅北口シーンで出てくるではないですか…。
アッチョンブリケ
加藤嶺夫「東京の消えた風景」(小学館発行)の昭和45年(1970年)の成城学園前の写真を見ると、成城石井の斜め前に「日本一のホラ吹き男」で映っている金物屋も確かにあります。
そして、昭和56年(1981年)に発行された雑誌「angle 街と地図の大特集」を見ると、確かに成城石井の北隣に吉田書店があります。パチパチパチ
現在の写真をグーグルのストリートビューからアップしました。
成城石井と同じ建物の北端に「ニッポン無責任野郎」にも登場する化粧品店が現存することは、すでに前述の荻窪東宝さん・麻布田能久さんの研究により報告されています。
ところで、昭和37年(1962年)封切りの「ニッポン無責任野郎」ですでに化粧品店だった店舗横に、なぜ、昭和39年(1964年)封切りの「日本一のホラ吹き男」ではアサヒビールの幟が立っているのでしょう?
★推理1★
当時は化粧品とアサヒビール(酒類)の両方を扱っていた。
西荻窪の「わかばや」はマンションにしてから化粧品店だけにしたが、元々は酒屋さんで化粧品も扱っていた。あり得ぬことではない。
改正前の酒類販売免許は、酒類販売店は100メートル以上離れていないとならないという距離規制がありました。
化粧品店が酒類販売免許を返上し、成城石井が代わりに免許を取得した。そのため、昭和45年(1970年)「東京の消えた風景」では、成城石井が吉田書店とみられる建物側に「アサヒビール」の看板を掲げている。
★推理2★
もともと、成城石井が酒類販売免許を持っていたが、吉田書店の撮影時、わざと化粧品店脇に置かせてもらった。
…まぁ、どちらでもヨロシイ。
結論
(1)「日本一のホラ吹き男」吉田書店は、1981年当時まだ現存していた。
(昭和45年の写真に写っている成城石井を建替えたのは1976年から77年にかけてだったと思います。現在の成城石井から化粧品店までひとまとめにしたビルが、その時に建替えたビルかは明らかではありませんが、おそらくその後、建替えはしていないはずです)
(2)「日本一のホラ吹き男」で、植木等さんは現在の東京三菱銀行横から飛び出してくる。
…と、ここまでわかってから気付いたけど…この件、メタボの若大将さんが閉鎖してしまったアメブロ「東宝娯楽映画 ロケ地巡礼大作戦」で、すでに研究報告なさっていたような気がしてきた。
もし、被っていたら申し訳ありません。
追伸:「ニッポン無責任野郎」で、ハナ肇が植木等と同乗したタクシーを降りる場面でも、やはりアサヒビールの幟が映ります。同じ場所だと思います。
拝見しました!
間違いないと思います。
昭和43年の住宅地図に少し読みづらいですが駅から北へ「石井食料品店」「吉田書店」「日本土地開発」「成城化粧品」その向かいに「鈴木金物店(現マック)」の記載があります。
ただ、鈴木金物店の奥の大衆食堂らしき店の記載はなく、この時点では「三菱銀行成城支店」となってます。ロケ終了後に地上げされたんでしょうか?
いや~こんなに早く見つかるとは、素晴らしい!頭が下がります<(_ _)>
田沼牛太郎サマ
フォローありがとうございました。
金物屋さんのところには1970年代後半、洋菓子屋があったような気がします。
当時、小田急線は交通ゼネストの時も運行してて、友達の自宅に泊めて貰いに行く途中、手土産に洋菓子を買った記憶があります。
三菱銀行が割合新しいのも驚きました。三菱銀行の北側並びに「木馬」という結構大きなレストランがあったのもおぼえていますが、昭和56年の地図にはすでにありませんね。
吉田書店って、確か成城石井の北隣に古本屋みたいな小さな本屋があったのを小さいときの記憶が蘇りましたよ。
渡辺様
コメントありがとうございました。成城にお住まいだったのですか。
ワタシも吉田書店という名前は知らなかったものの、小さな本屋さんがあったのは地図を見て記憶が蘇りました。
雑誌の購入くらいはしたかも知れませんが、南口にある江崎書店の方が大きく品揃えも豊富でした。
ネット検索したら江崎書店も2009年3月末に閉店したそうですね。
吉田書店って、成城石井の並びにあった、小さな古本屋みたいな店ですよね。小学校の時に少しはいったことあります。あと、北口右横に紅花というレストランも一時期ありましたが、いつの間になくなってしまいましたね。紅花は赤色の目立つ看板だったような
>吉田書店って、成城石井の並びにあった、小さな古本屋みたいな店ですよね。小学校の時に少しはいったことあります。あと、北口右横に紅花というレストランも一時期ありましたが、いつの間になくなってしまいましたね。紅花は赤色の目立つ看板だったような
渡辺様
コメントありがとうございました。「紅花」はロッキー青木時代の店舗でしたね。ワタシも2.3回入ったことがあります。成城石井が木造からビルになった頃(1976年らしい)に開店したと思います。上の地図では「青柳」の並びにあります。現在、小田急のリフォーム&仲介があるあたりでしょうか?
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