映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)
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『昭和の東京』
川本三郎、泉麻人:監修
刊行スタート!
http://www.deco-net.com/index02.html
1 新宿区 3月7日発売
2 台東区 5月15日発売
3 千代田区 7月発売
4 江東区 9月発売
5 中央区 11月発売
昭和の東京 1新宿区
加藤嶺夫・写真/川本三郎、泉麻人・監修 加藤嶺夫が34年間(1966~2000年)撮り続けた4500枚に及ぶ東京の“消えた街角”を“区”ごとに編集。著者初のダブルトーン印刷で濃淡豊かに美しく再現しました。 東京論の巨匠・川本三郎と泉麻人による解説(エッセイ)も見どころ。 撮影時(昭和38年)と現在の地図も収録され、街歩きも楽しめる一冊。
昭和の東京 2 台東区
加藤嶺夫・写真/川本三郎、泉麻人・監修 “消えた街角”を撮り続けた加藤嶺夫の写真全集、待望の第2巻。上野、浅草、谷中…「もっとも江戸の香りを残している」台東区の貴重な記録と川本三郎、泉麻人の解説(エッセイ)や、撮影当時の地図・都電系統図と現在の地図などを収録しています。
昭和35年(1960年)公開、東宝映画「接吻泥棒」。
DVD化されていない作品です。私も「チャンネルNECO」で見て初めて知りました。
ご存じない方は、映画タイトルのリンクをクリックし、先ず映画内容をご覧ください。
(1)聖立高女から出てくるライト級ボクシングチャンピオン高田明(宝田明)と
由紀美恵子(団令子)が乗った自動車。後ろには電波塔が見えます。
(なんで、宝田明の体つきでライト級なのかは不明)
(2)正門を出て左折すると下り坂です。
(3)クルマの背後に、左手に土手がある道をオートバイで追いかけてくる
トップ屋の日高(風車の弥七=中谷一郎)が…。
(ここでは、トップ屋とはパパラッチ兼任のライターと理解してください)
(4)団令子さんが後ろを振り返り睨みつけます。
この道はオートバイの前を走っているので、下り坂ではなく平らです。
(5)オートバイに追いかけられ、一度下りた坂道をまた登ってきます。
(6)石垣があって、左側に濠があるところで停車します。
(7)自動車から降りた二人。
お濠の横を都電が走り、東京タワーが見えます。
(おまけ)
この映画の原作は、まだ暴走オニイサンだった石原慎太郎。
ラストシーンにも出てきます。
石原慎太郎は、芥川賞を受賞すると東宝映画脚本部を急きょ退職。
そのため助監督採用で内定していた一人が脚本部配置採用となったそうです。
後に東宝のクレージー映画・若大将映画の脚本を担当する田波靖男さんがその人だったそうな。
映画のロケ地紹介です。
聖立高女は、千代田区紀尾井町6。
上智大学南側にあるカトリックメリノール宣教会の建替えられる前の建物です。
後ろに見える電波塔は、麹町の日本テレビ電波塔です。
下り坂は、清水谷へ向かって下る紀尾井坂です。
グーグルアースでみると、現在ではこんな風景です。
ワゴン車が停まっているあたりが現在のカトリックメリノール宣教会。
隣接するハウス食品工業本社ビルは、カトリックメリノール宣教会建替えにあたり敷地の一部が売却され建てられました。(登記簿見てないけど賃貸ではないと思う)
右側はホテルニューオータニ。(6)の石垣は現在ホテルニューオータニがあるところですね。
昭和63年(1988年)に、四谷の土手の上から撮った写真です。
正面やや右は文藝春秋社本館の黒い社屋
(この建物のてっぺんは出来た頃、信濃町駅プラットホームからも見えました)。
文藝春秋本社のところが作曲家山本直純のオジイサンの自宅があったところで、ホテルニューオータニのところは慶應義塾大学文学部教授だった奥野信太郎先生のご先祖様の自宅だったと…出典は覚えていませんが、山本直純さんが生前、永六輔との対談で語っていました。
余談ながら…この紀尾井町6の角地は、元は和風家屋の「紀尾井町 福田屋」でした。
VIPの人たちが通った料亭です。
上智大学横と土手の間の道路には、夕暮れ後、黒塗り乗用車が並びました。
宴席が終わると、拡声器から「品川○○-×××× おでましです」。
路上駐車していた黒塗り乗用車が玄関へ向かう…。
以前の和風家屋が取り壊されるまで、この仕来たりは続いていたと思います。
やっと、到着した若大将 「おい やめろ やめろったら」
青大将「あッ 若大将 よく来てくれた」
ところが、若大将は「やめろ」と言った口先も乾かぬうちに、西北大学の学生を突き飛ばします。
相手の学生はよろけて、
集団乱闘が発生しているプールサイド脇を、のんびり乳母車を押しながら歩く女性に当たります。
澄子さん「あッ!!」
プール方向へ向かう乳母車。
若大将、乳母車を止めようとして プールにザブン。
澄子さん「どうも 本当にありがとうございました」
若大将 「僕も一瞬どうなるかと思いました」
(あの、乳母車を危険に晒す原因を作ったのは若大将ですけど。二人とも勘違いしてませんか?)
若大将「おい こんなところで喧嘩する奴があるか 他の人に迷惑がかかるじゃねえか」
(最初に青大将を突き飛ばしたのは西北大学の連中です)
青大将「だってよォ 止めなきゃ みんなやっつけちゃったよ 俺」
江口「ばか言うなよ 若大将が来なかったら客観的にみて まったく危ないところだったぞ」
青大将「客観的にかよ」
若大将シリーズの脚本を担当した田波靖男さんの著書「映画が夢を語れたとき ― みんなが「若大将」だった。『クレージー』だった」によると、「ハワイの若大将」完成後、星由里子さんから「一度でいいから澄子さんと青大将が結ばれる結末にしてほしい。だって、あんなに尽くしてくれる男性なんていやしない」と懇願されたそうです。
本当は星由里子さんも青大将ファンだったのですね。
(↓)この話…以前、荻窪東宝さんか麻布田能久さんが書いていたと思います。
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ロケ地として、ミワが映画館のスクリーンに登場
1966年東宝映画「レッツゴー!若大将」で、若大将:田沼雄一(加山雄三さん)のマドンナ役:澄子さん(星由里子さん)が勤める、宝石専門店坂本(宝石専門店ミワ)として登場。
写真左は当時、開店前にせっせと掃除する澄子さん。
個人のお宅を借りて撮影したのでしょうから、場所を特定することは控えますが、丘陵地帯に建つ自宅庭先から見下ろすと電車が走るこの場所は、成城4丁目20番地に違いありません。
グーグルマップで見ると、こんな感じの一帯です。
喜多見電車基地は平成になってから出来たので、映画撮影当時はまだありません。
小田急電鉄は、この喜多見電車基地にソーラーパネルを設置して発電事業に参入するそうです。
http://news.mynavi.jp/news/2013/04/02/012/index.html
この辺りは、昭和40年代のホームドラマでも、よくロケーション撮影に使われました。
ドラマ「雑居時代」は、栗山家自宅ロケ地が成城(成城4丁目の線路を挟んで南側)だったので、成城学園前近辺がよく出てきます。
「雑居時代」ロケ地は、このブログに詳しく記されています。
↓
http://ameblo.jp/akotirin/theme-10032526169.html
現在、成城4丁目20番地のてっぺんは、世田谷区立みつ池緑地という公共緑地になっています。ここに脚立を持って行きカメラに一脚スタンドをつけて撮影すれば似たような風景が撮れるかも知れません。
ストリートビューで近くの道路を走るとこんな感じです。
益々電機本社は、川崎市幸区にあるそうですから、成城学園前から登戸に行き南武線乗り換えで通勤したはずです。ラッシュ時も逆方向なので電車は比較的空いていたはずです。賢明な選択ですね。
浜美枝さんが植木等さんの頭を叩いた洗面器は、「吉田書店」の向かいにあった金物屋さん(田沼久太郎さんによると「鈴木金物店」)で買ったことは言うまでもありません。
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