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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン 2013年7月16日号 クレージーメキシコ大作戦







東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン 2013年7月16日号

http://kigeki.jp/

出版社名 : 講談社
発売日 : 2013年7月2日
雑誌JAN : 4910238530735
雑誌コード : 23853-07
税込価格 : 1,590円




7号:クレージーメキシコ大作戦


アメリカ~メキシコ北米大陸縦断大ロケーションを敢行。製作費2億円、上映時間2時間42分という破格のスケールを誇る超大作


出演:植木等
ハナ肇
谷啓
浜美枝
園まり
大空真弓
藤田まこと

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最後のクレイジー犬塚弘 ホンダラ一代、ここにあり!

最後のクレイジー犬塚弘 ホンダラ一代、ここにあり!

http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2184478&x=B


犬塚弘/著 佐藤利明/著


出版社: 講談社
言語 日本語
ISBN-10: 4062184478
ISBN-13: 978-4062184472
発売日: 2013/6/26



内容紹介
--------------------------------------------------------------------------------
天性のジャズマンたちが結集して、日本一のコミック・バンドになった!
クレイジーはいつまでも輝き続けます!

1960年代のニッポンで、数々のテレビ番組や歌、映画で、子供からお年寄りまであらゆる世代に、笑いと明るい希望をもたらした“ハナ肇とクレイジー・キャッツ”。そのメンバーで存命なのは犬塚弘ただ一人。犬塚弘は2013年、84歳を迎えたが、なお精力的に活動していて、クレイジーの誕生から全盛期にいたる活動、メンバーたちについて語ることのできる唯一の存在である。
本書は、いまだ知られざるクレイジーのエピソードや、犬塚弘氏自身の生い立ちから現在に至るまでを語り、そして犬塚氏がいかにクレイジーと共に生き続けてきているのかを通して、いつの時代になってもその輝きを失わないクレイジー・キャッツの永遠の魅力を解き明かしていこうとする、自伝かつエッセイ。これは、閉塞したいまの時代へ向けた輝けるメッセージだ。

本書では昭和20年代のジャズ・ブームから、昭和30年のクレイジー結成秘話、そして伝説のテレビ・バラエティ「おとなの漫画」「シャボン玉ホリデー」などの舞台裏が縦横無尽に語り尽くされている。クレイジーのメンバーは、いずれも一流のジャズ・ミュージシャンばかり。結成当時30代だった彼らは、揃いのスーツに身を包み、アメリカナイズされたスマートさで、ジャズをコミカルに演奏し、テレビでコントを演じた。そして敗戦後の日本でエンタテインメントの一翼を担い、コミック・バンドとして、コメディ・グループとして、テレビ・バラエティの黄金時代を築いたパイオニアでもある。そのクレイジーが駆け抜けた1950年代から1970年代にかけて、そしてメンバーそれぞれが俳優として活動していく1980年代から現在までが、ここでは豊富なエピソードとともに語られている。

聞き手・構成はクレイジーの植木等、谷啓らに取材を重ね、クレイジーの音楽、映像ソフトや研究書をプロデュースしてきた娯楽映画研究家の佐藤利明氏。
知られざるエピソード、爆笑秘話、そして仲間たちへの想いが満載。最後のクレイジー・キャッツのメンバーが語る、ニッポン・エンタテインメント史からの永遠なるメッセージ!

※本書は東京新聞夕刊で、2013年1月4日~3月29日に連載された『この道 最後のクレイジー・犬塚弘』に、大幅に加筆したものです。


目次
--------------------------------------------------------------------------------
序章 犬塚ヒロムという男
第1章 ヘイ、クレイジー
第2章 ジャズからコメディへ
第3章 「シャボン玉ホリデー」と「スーダラ節」
第4章 ニッポン“クレイジー”時代
第5章 ジャパニーズ・インディアン
第6章 それぞれの歩みへ 第二の人生
最終章 いつまでも、クレイジー


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吉永小百合私のベスト20DVDマガジン「青い山脈」

吉永小百合私のベスト20DVDマガジン 2013年7月15日号

  http://bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=0891738


日活100周年記念企画

「すべて私が選びました」 吉永小百合 私のベスト20 DVDマガジン
貴重な作品ポスター付き

「城下町の女子校で巻き起こる“偽ラブレター騒動”」

●青い山脈 [監督]西河克己
昭和38年1月3日公開 吉永小百合 転校してきた行動力のある女子高生・寺沢新子役
日活青春オールスター! あの名作学園ドラマが甦る!!

●連載
銀幕に咲いた美しい花 吉永小百合ものがたり
俳優たちの結束

●ロケ地案内
彦根を歩く

●共演者クローズアップ
[英語教師の島崎雪子役]芦川いづみ
[大学生の“ガンちゃん”役]高橋英樹

●幻のファンクラブ会誌から特別再録「さゆり日記」

●DVD付録特典映像
昭和38年1月公開 「新春の皇室ご一家」(中日ニュース)ほか

※DVD:リージョン2[NTSC・日本市場向]


 





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「日本一の男の中の男」パレスサイドビルと如水会館

昭和43年の正月映画「日本一の男の中の男」。

前年、浜美枝さんはジェームズ・ボンドと偽装結婚したため出演せず、
植木等さんの相手役は、日活の浅丘ルリ子さんが務めました。
(冗談だから、怒らないでください)



主人公・小野子等が務める丸菱造船も、パレスサイドビルでロケをしています。
画面右端に、建て替える前の如水会館がうつっています。
空撮で、パレスサイドビルに近づくと屋上に一人の男性が…。



ここからパレスサイドビル屋上でのロケーション撮影に変わります。
パレスサイドビル屋上には、御社があったのですね。
わざわざ、屋上の社殿を写し込んだのは、
自ら国粋主義者と言って憚らなかった古澤憲吾監督の好みでしょうか。

一方、植木等さんのお父さんは水平社運動に参加し戦争中反戦運動で幾度も逮捕された人。
植木等さんは、そのお父さんを誇りにし本まで書いています。

思想的には正反対の二人なのに、仕事の上では妙に気が合ったらしい。

同じような関係が、自民党党歌の作詞まで行い自民党支持者の岩谷時子さんと、
日本共産党から選挙に立候補までしたいずみたくさん。
この二人も仕事の上では妙に気が合ったそうで、多くのヒット曲を作っています。



先日の「豹は走った」の社長室と同じ方向を、この映画の屋上ロケーションでも撮影しています。

現在のパレスサイドビル屋上は、どうなっているのだろうと思い、グーグルマップの航空写真で見たら、なんと、この映画の撮影当時とほとんど同じで、屋上の御社も同じ場所にあるし、芝生もあるのですよ。驚きました。


なお、パレスサイドビル横では、若大将も澄子さんとロケーション撮影したそうです。

竹橋    レッツゴー!若大将 (1967年 東宝)










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「豹は走った」ホテルニューオータニから見た鉄道弘済会館

1970年公開の東宝映画「豹(ジャガー)は走った」

南ネシア共和国にクーデターが起こり、アメリカに亡命するため
東京に滞在するジャカール大統領。

ジャカール大統領を暗殺するためホテルニューオータニに宿泊したヒットマン田宮二郎。




鉄砲の御稽古してます。




この不二サッシ広告看板は、「日本一のゴマすり男」で目高邸へ行く時にも写りました。

「日本一のゴマすり男」目高邸へのドライブコース、ロケ地を走ろう(14)参照〕




鉄砲の照準を右へずらすと、鉄道弘済会館。
当時は、鉄道が付かず弘済会館という名前でした。




この映画の前年1969年の空撮映像です。
不二サッシの看板があったのが麹町ビルという名前だったと思います。
その右隣がニュー麹町ビル。
キンコーズの店舗検索で四ツ谷店が「東京都千代田区麹町5丁目3−23 ‎ ニュー麹町ビル1階」と出るので、
ニュー麹町ビルは、まだ健在のようです。
一軒おいて、南下りの坂道を渡ると弘済会館。こちらのビルも当時のままです。

ニュー麹町ビルと弘済会館の間は、大和屋という江戸時代からの質屋さん。
小学校の時、鼠小僧が入ったので取り付けたというどんでん返し付きの土蔵を見学に行きました。
昭和37年か38年だったはず。
この映画の頃は、まだ質屋も土蔵もありましたが、大通り側はガソリンスタンドになっていました。
1980年代になってからヤマトビルという貸しビルとなり、一階が文房具も置いてある書店でした。
グーグルアースで見ると2009年の画像では工事中。
その後、現在は浅古ビルという建物になっているようです。




弘済会館と不二サッシの広告塔、そしてホテルニューオータニは、
昭和40年代には、かなり遠くから見えました。

この写真は昭和42年「ゴーゴー若大将」で、赤坂にある実家田能久に帰る若大将。

赤坂見附の高速道路の向こうに弘済会館と不二サッシの広告塔がうつります。
東宝映画「レッツゴー!若大将」田沼雄一は稀代の方向音痴の弁慶橋場面でもうつります〕

アオイの看板があるところが葵ビルになるはずです。
若大将は、この先で右へ曲がります。
現在だとノアビルがある場所になります。
大通りの一本内側路地を挟んで一本内側(田町通り)に田能久がある設定になっています。
(ただし、田能久はセット撮影)


映画「豹(ジャガー)は走った」に話を戻します。

ホテルニューオータニが出来た当時、同じ小学校で同じクラスの結構裕福な家の女の子が、
あのいちばん上で食事すると、お寿司一人前千円するんだってと言ったので、みんな驚きました。
昭和40頃のことです。

現在、『THE Sky』sky BARのメニューを見ると、寿司5貫で三千円となっています。
去年、自民党総裁選当日の決起集会で安倍晋三グループが、ホテルニューオータニで昼食にカツカレーを食べた。

ホテルニューオータニのカツカレーは、レストランで食べると3800円するという報道があり話題になりました。昭和40年当時のカツカレーは幾らだったのでしょうか?






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「豹は走った」のロケ地 パレスサイドビル


今週、日本映画専門チャンネルで「豹(ジャガー)は走った」(1970年東宝)を放送しています。

青大将のパパは商社の社長さんです。
息子の恋路の邪魔ばかりする警視庁出身のスナイパー若大将に腹を立て、
秘書の加賀まりこに、大映出身の殺し屋田宮二郎を手配させ、若大将をやっつけようと計画します。

(ちょっと違ったかもしれない…)




パパの会社で、革命が起こった東南アジアの某国と武器輸出の話をする青大将パパ。
ロケ地はパレスサイドビルです。

「日本一のゴマすり男」撮影時には、まだ工事中だったパレスサイドビルは、
完成後すでに4年が経過しています。



パレスサイドビル北側に、共立講堂の丸い屋根と共立学園の校舎。
その向こうに小学館がそびえています。

現在は、共立女子大が高層ビルを建てたので、パレスサイドビルから小学館は見えないはずです。

実は、加賀まりこさんは神田小川町の生まれ。
小川小学校から、小学館の隣にある一橋中学に進んでいます。
育ったのは神楽坂らしいけど、ほとんど地元でロケしてます。

一方、若大将映画の澄子さん役、星由里子さんは鍛冶町出身で、
錦華小学校、今川中学出身。

ふたりは昭和18年12月生まれで、星由里子さんが5日オネエサン。
小川小学校と錦華小学校は統合され、現在、千代田区立お茶の水小学校となっています。

危うし 若大将… (つづく)


今回の余談
下の写真は、パレスサイドビルの前に建っていたリーダーズダイジェスト東京支社。
昭和26年に建てたのに昭和39年に壊され、跡地にパレスサイドビルが建てられました。

写真は「建築昭和史」(新建築社)より




なお、錦華小学校で星由里子さんを教えた富川先生は、私が6年の時に私が通う小学校に転任してきました。うちにあった古い週刊明星で母校錦華小学校を訪れた星由里子さんが富川先生と談笑する写真を見た時はビックリでした。





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「ニッポン無責任時代」バレーボール落下場面、日傘を差している理由

 

昭和のサラリーマン映画では、屋上ロケーション撮影がよく行われています。

なぜかというと、晴天の日の屋上ロケーション撮影なら明るいし、
付近のオフィス街の風景を背景に使えるから。




屋上から飛んできたバレーボールを外付け階段で補給した植木等さん、
そのボールを道路に向け放ってしまいます。




バレーボールが落ちていく道路。
下を歩く歩行者は二人とも日傘を差しています。
なぜでしょう?

答えは…屋上からバレーボールが落ちてきたら危ないから。


最近の若い人たちは、インチキジャーナリズムが面白おかしく書くので、
昭和というのはとてつもない時代だったと思っているのではないかと気になります。

大和証券本社ビルは、当時の建築基準法いっぱいの9階建。
9階建のビル屋上から道路にバレーボールが落下したら、35メートルくらいの高さがあります。
万が一、通行人役の人に当たったら危ないから日傘を持たせ、
(おそらく通行人役は新米助監督あたり)落ちていくボールもゆらゆらしているので、
空気を抜いているか、ビニールボールで撮影したはずです。

幾らなんでも、ボール落下防止のネットもない屋上でバレーボールだなんて、
そんな危ない真似は、昭和の頃でもやりませんでした。ゼッタイに真似をしてはいけません。


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東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン「日本一の色男」 2013年7月2日号


東宝昭和の爆笑喜劇DVDマガジン 2013年7月2日号

 

出版社名 :  講談社
発売日 :  2013年6月18日
雑誌JAN :  4910238510737
雑誌コード :  23851-07
税込価格 :  1,590円



  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%80%E3%81%AE%E8%89%B2%E7%94%B7

 


*日本一の色男(1963年7月公開)


  モテモテセールスマンと女性たちの色恋騒動!

 
◇植木等  光等 役
◇DVD特典映像 創刊スペシャル
   小松政夫の「おもしろ見どころガイド」
   昭和34年のニュース映画

[マガジン]
◆大爆笑の立役者 主人公&サブキャラ徹底解剖!
◆映画見どころ 虎の巻
  大爆笑!今作品まるごとガイド
◆昭和の喜劇人 ~谷啓[後編]
◆女優百科 ~白川由美
◆勝手にC調考現学
◆爆笑喜劇バンザイ! ~神津善行

…ほか

☆超お宝!復刻ポスター付き


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「ニッポン無責任時代」青山斎場で屋外ロケーション撮影をした理由


「ニッポン無責任時代」冒頭、葬儀に参列した氏家社長(ハナ肇)に、
平均(植木等)が近づく場面。

青山葬儀所でのロケーション撮影。
ハナ肇さんの右後ろにいる男性…東宝の俳優さんだったのでしょうか?
当時のほかの東宝映画にも通行人役などで出演されています。
テレビコマーシャルや広告写真にも登場されていましたね。

追記
ブログ読者の方からお教えいただきました。
吉頂寺晃さんとおっしゃる俳優さんだそうです。

総天然色 60年代東宝俳優名鑑
http://www.ogikubo-toho.com/haiyuu.html




青山斎場は室内斎場です。下の写真、正面が受付になります。
ニュースで有名人の葬儀場面は、普通この受付で撮影しています。



ところが映画では、屋外で受付を行い、屋外で焼香をしています。
なぜでしょう?

最近、子供の頃から家庭用VTRカメラが身近にある環境で育った世代が40代になりつつあり、
どうも、そのあたりがピンと来ないようです。

答えは、室内ロケーション撮影をしたら「暗い」からです。

この当時の映画フィルムは感度が低く、まだISO(ASA)100もなかったのです。

富士写真フィルムのサイトをみると、ISO100の映画フィルムを初めて提供したのは、
1969年(昭和44年)大映作品「眠狂四郎卍斬り」だそうです。

最近のデジタルカメラは、携帯電話の動画撮影でもISO1600程度が使えますが、
デジカメの感度をISO100に設定してごらんなさい。
夕方、日没前に補助光なしでは撮影出来なくなります。

さらには、当時、ロケーション撮影で補助光を使うとなれば、
探光灯みたいな大型照明をロケ地に持ち込まねばならず、大変なことだったのです。

夜ロケーション撮影をするのは大変なので、逆に昼間のうちに青いレンズフィルターを被せて、
夜に見せかけて撮影する方法も多く見られます。
疑似夜景(疑夜:アメリカの夜)と呼ばれた手法です。
先日「エレキの若大将」だったかを見ていたら、若大将の歌唱シーンを疑夜で撮影していました。

古澤憲吾監督は、この疑夜が嫌いだったらしく、
喜劇ものの娯楽映画では、夜間ロケーション撮影でも大型投光機を使っています。

ただし、古澤憲吾監督も「青島要塞爆撃命令」では疑夜を使ってました。




なお、富士写真フィルムは今年3月で映画用フィルムの生産は終えたそうです。

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撮影用/上映用映画フィルム 生産終了のお知らせ

 http://fujifilm.jp/information/articlead_0204.html

2013年4月2日

富士フイルム株式会社
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「日本一の男の中の男」 銀座メイツはどこだ?


1967年(昭和42年)の大晦日に封切られた正月映画「日本一の男の中の男」。

「銀座メイツ」で、平尾昌章とメイツガールズが「若いってすばらしい」を歌う場面。

タイガース映画のマドンナ役・久美かおりさん、「真夏の出来事」平山美紀さん、
後にトワ・エ・モアに加わる山室恵美子さん。



もう一人の女性は、槇みちるさんではないと思いますが、ほかの女性たちがこの女性の動きに合わせているのでリーダー役だったと思います。



銀座メイツは、渡辺プロの「スクールメイツ」が出演するライブハウス。
秋葉原のAKB劇場みたいなものだったらしい。

いったい銀座のどの辺にあったのでしょう…。
う~む、これはムズカシイぞ…。
だって…ケネディハウス銀座と名前は変わったけど、今も銀座にあるんだもん。

------------------------------------------------------
社 名  株式会社メイツ
本社所在地  〒150-0031

東京都渋谷区桜丘町12-10 渋谷インフォスアネックス7F  
http://www.watanabe-group.com/company/09.html
TEL  03-5428-3858
FAX  03-5428-3876
主な事業内容  ・喫茶、飲食店並びに売店の経営
・レコ-ド、テ-プ、楽譜、ブロマイドの販売
・不動産の賃貸借並びに駐車場の経営
 
ライブハウス  ケネディハウス銀座
所在地  〒104-0061
東京都中央区銀座7-2番地 コリドー街B1F
TEL  03-3572-8391
URL  http://www.kennedyhouse-ginza.com/
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以前の渡辺プロダクションは、銀座メイツのすぐそば、
松井ビル(千代田区有楽町1-6-8)にあったのですよ。
これは電車から見えたのでおぼえています。
その前は、三信ビルに入っていたそうです。
昭和30年代の三信ビルって家賃高かったでしょうね。


なんで、「日本一の男の中の男」の銀座メイツに行きついたか…。
「ニッポン無責任野郎」「日本一のゴマすり男」に登場する「CLUB ACADEMY」と、
舞台やバーカウンター、客席の並び方が似ていてカメラの動かし方も似ているのです。

ケネディハウス銀座の店内写真と比較するまでもなく、この「銀座メイツ」は広々としています。
「CLUB ACADEMY」は、赤坂あたりの有名キャバレーでロケをしたのではないかと思い、
ミカドの店内写真などを見てみたのですが、舞台の配置が違います。

おそらく「CLUB ACADEMY」も、この「銀座メイツ」店内もロケではなく、東宝スタジオでのセット撮影のようです。







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