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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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「日本一のゴマすり男」に登場する芝ゴルフ練習場


私…じつは映画ファンではないしロケ地おたくでもありません。

昔の東京の風景写真や建築写真などが好きなのです。
さらには一時期、東京タワーに凝ったことがありまして、東京タワーの絵葉書などは結構持っています。



「日本一のゴマすり男」に出てくる芝ゴルフ練習場。最近まであったのでご存知の方も多いはず。
現在、ザ・プリンスパークタワー東京なるホテルが建っているところの、やや増上寺寄りにありました。
2003年の地図には、まだ芝ゴルフ練習場になっています。

東京タワーの空撮写真は沢山あっても、
芝ゴルフ練習場も写っている写真は少ないことに気づき探してみました。
出典は、また1970年のノーベル書房の写真集です。



カラー写真は、日本天然色写真の絵葉書。

赤白緑の屋根は東京タワーボウリング。隣のビルディングは当時の東京12チャンネル本社。
2003年の地図では、アミューズメントホールと東京タワー芝公園スタジオになっています。
東京タワーボウリング(アミューズメントホール)の場所は、現在東京芝とうふ屋うかいとなっています。
1970年のモノクロ写真で、芝ゴルフ練習場のフェンス脇(写真右端)にも、ボウリングのピンが立った建物があるのがわかるでしょうか。
ここは当時の地図では、芝ボーリングセンターとなっています。



芝ゴルフ練習場のあったところは、戦前まで徳川家の霊廟があったところだそうです。
空襲で焼け、墓地も滅茶苦茶になったらしい。
終戦直後の小平事件が発覚した死体発見現場も、このあたりだそうです。

「日本一のゴマすり男」の前年に公開された「日本一のホラ吹き男」。
映画冒頭で植木等さんが東京五輪音頭を歌う武蔵野陸上競技場は、
昭和19年11月にB29が東京を初空襲した中島飛行機武蔵工場のすぐ横です。




中島飛行機武蔵工場跡地では、戦後、プロ野球の試合も行われたそうです。

★武蔵野市にあった幻のプロ野球スタジアム

  http://tokudesu.blog58.fc2.com/blog-entry-67.html








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アルフィー高見沢俊彦 40年前デビュー時の衝撃過去

え~ 実はワタシ アルフィーの高見沢俊彦とは、高校で同学年です。

アルフィー 結成40年とかいうニュースがあったので、過去の秘密を暴露。



この写真は3枚は、19771976年(昭和5251年)元旦の山中湖。
みんなで初日の出を見に行った時の写真です。



すでに、この時はアルフィーとしデビュー。
1975年大晦日は、かまやつ(ひろし)さんのバックでNHK紅白歌合戦出場。
しかし、翌年の大晦日は仕事が入っていないということで、この初日の出見物に急きょ参加しました。 マチガエて記憶していました。訂正しました⇒ 



急きょ、参加したのでご覧の通り軽装の高見沢俊彦。
途中のパーキングエリアで撮った写真では、寒い寒いとクルマの中にあった膝かけを被っています。


下の写真は、1974年に友人が寄越したはがき。
今だったらメールが来るところですね。
テレビデビューは、1974年8月6日のギンザNOWだったのですね。
当初グループ名は「シド」を予定したいたのが、急にアルフィーになったらしい。



はがきでマスキングしたところは、別にマズイことは書いてありませんが、
このはがきをくれた人物が現在某企業役員なので公表を控えました。

高見沢俊彦ウラ話など知りたい方は、このブログ記事に拍手してください。
拍手多数の場合は暴露します。(笑)





        
                                

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池田信「1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶」 毎日新聞社

1960年代の東京 路面電車が走る水の都の記憶






内容(「BOOK」データベースより)

東洋のベニスと称えられた水辺の都市空間。未公開の写真2万数千枚から失われた東京が甦る。


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

池田/信
1911年、東京生まれ。第一東京市立中学校(現在の都立九段高校)卒業。1934年、東京都庁に入る。1969年、都立多摩教育会館館長などを歴任して退職。都立日比谷図書館資料課長を務めていた1961年、休日を利用して東京の町並みの写真記録を開始する。1968年、港区の写真2255点をまとめた『みなと写真散歩』を自費出版。1987年6月4日、横浜市金沢区の自宅にて永眠。享年75歳(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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登録情報

単行本: 240ページ
出版社: 毎日新聞社 (2008/3/14)
ISBN-10: 4620606324
ISBN-13: 978-4620606323
発売日: 2008/3/14
 


目次


日本橋、兜町、箱崎町、人形町
京橋、銀座
築地、明石町、佃島、月島
新橋、芝、三田、白金
赤坂、青山、六本木、麻布
目黒、品川、大森、田園調布
三軒茶屋、等々力、和泉
渋谷、代々木、表参道、初台、千駄ケ谷
新宿
飯田橋、神楽坂、早稲田
本郷、小石川、池袋、板橋、王子
上野、浅草、千住、柴又
神田
丸の内、日比谷、有楽町、永田町

この写真集も、私がよく参考にさせていただいております。




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「日本一のゴマすり男」ラストシーンのロケ地を見てみよう






眉子さん(浜美枝)を怒らせてしまった中等(なかひとし:植木等)、
そうか、オヤジがいつもオフクロに使ってたあの手か…。







大手町ビル屋上を走り出します。







芝浦のヤナセ本社ビル立体駐車場のスロープを駆け上がります。

私の高校の体育教師が、植木等は百メートルを11秒台で走り、
当時の学生陸上では名が知れた選手だったといっていました。







眉子さんにひたすら謝る中等。モノレールの向こうに建設中なのはパナソニックの看板がある建物
興和三田ビル)でしょうか。








出発進行









工事現場らしきクレーンと、右側にはビルディングがあります。








高速道路のインターチェンジで、いきなり左寄せ。 アブナイダロ








白バイ警官(谷啓)が走ってきました。
この白バイ、本当に転倒したのか演技なのか、白バイを転倒させた直後にするりと起こします。
荻窪東宝さんは演技ではなくハプニングだろうとの判断です。
いずれにせよ、すごいオートバイ操縦技術の持ち主。丸顔なのですが谷啓さん本人じゃないですよね。









車内を覗くと、中等は眉子さんと接吻(じつは頬っぺたを重ねているだけの生真面目な演技)。
呼びかけに応じぬので、リアウインドに「駐車違反」の紙を貼るとクルマはするすると走り出します。
そのあと、前方に停まっていたパトカーも走り出すでしょう。
あのパトカーは撮影現場を監視していたのでしょうか? 見るたびに気になります。



(補足)荻窪東宝様より以下の御意見をいただきました。
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谷啓の白バイ警官のことですが、私は谷啓自身がバイクを走らせてきて、停めたと思ってます。
体型的な特徴や身のこなし、谷啓さんそのものですし、あのコケそうでいて、かろうじてコケない停め方は、やろうと思って出来るものではないように思えます。
あれをNGにしたら、もう一度バイクを同じ方向に環状線を走らせて来なくてはならなくなるし、そうそう長時間、高速上での撮影許可は出なかったのではないでしょうか。パトカーが去っていくのは警察が立ち会ったのではないかと思ってます。いくらなんでも無許可で白バイの走行はマズイです。
コケそうになったのは予期せぬ事態だったけど、OKにせざるをえなかった、むしろあれも面白いのではないか、という判断だったのでは、と想像しています。
谷啓さんは出演者にクレジットされていないとのことです。
ラストシーンで谷啓さんを不意に登場させて観客を驚かせようとする狙いだったかもしれませんね。
しかし、この作品、クレージーで出演していないのはハナ肇さんだけなんですよね。他は全員出ている。だから、急に谷啓さんが出てきたからといって、それほど効果は無いような気がしないでもないですけど。
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ラストシーン「日本一のゴマすり男」のタイトルが出て、この後「The end」。

正面のビルをごらんください。三洋貿易と書いてありますね。

「『日本一のゴマすり男』目高邸へのドライブコース、ロケ地を走ろう」に出てきた三洋貿易ビルが、
今度は西側から再登場です。








「日本一のゴマすり男」ラストシーンのロケ地は、当時の気象庁北側と如水会館の間あたりに位置する
一ツ橋インターチェンジだったのです。

加藤嶺夫さんが昭和44年4月20日にパレスサイドビル屋上から撮影した気象庁の写真が、
「東京の消えた風景」(小学館)に載っていて、このロケ地を確認できます。


グーグルのストリートビューで、映画「日本一のゴマすり男」ラストシーンのロケーション場所を辿ってみました。

一ツ橋インターチェンジ合流地点からみると、こんな感じです。
三洋貿易ビルの跡地に建てられた三洋安田ビルは西隣にもビルディングが建っているため、
直接はうつりません。








荻窪東宝さんによると、首都高速5号池袋線は映画「日本一のゴマすり男」公開当時は、
まだ開通していなかったそうです。
だからこそ、高速道路上にクルマを停めてのラストシーンが撮影出来たのですね。
(開通前の高速道路は道路法上の道路ではないから「駐車禁止」は成立しないのではないか)


もう少し接近してみました。








谷啓さんが白バイで追いかけてきたのは、現在のパレスサイドビル方向からですね。
当時のクレーンはパレスサイドビル建設工事現場。右手に見えた四角い建物は科学技術館でした。










なぜ、芝浦から出発したのにラストシーンは西から走ってきたのでしょう。
まず上野毛の目高邸へ婚約の報告に行った帰りだったに違いありません。
律義な中等と眉子さんなのでした。





      





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「日本一のゴマすり男」後藤又之助が入院した病院は、あのマンションだった


鳩子さん(中尾ミエ)からパパ(後藤又商事大社長後藤又之助:東野英治郎)を説得してと
頼まれた中等(なかひとし:植木等)は、大社長の入院先病院にタクシーで駆けつけました。

こういうときは、後藤又自動車の試乗用自動車を勝手に乗り回したりしないのです。
中等さんは公私のけじめに厳しいのだ。 ウム

駒沢オリンピック公園の塔が見えます。国立第二病院ですね。

 

病院の中に入りました。
列をなす見舞客に、ちょっと失礼。



中等より先に、列をなす見舞客を無視し大社長秘書に「よぉ」と声をかけたのに、
秘書から面会謝絶ですと病室への立ち入りを断られた後藤又自動車小泉社長(進藤英太郎)にも挨拶。
(決して相手を無視したりせず、中等はいつも円滑な人間関係を心がけているのです)

「さきほど電話した中(なか)ってもんですが」。

「どうぞ、お入りください」



小泉社長「キミ、無礼じゃないか。あの男はうちの会社の平社員だぞ」

大社長秘書「は、大社長とは特別な御関係で…」

小泉社長「特別な関係…??」



この階段の手すり…どこかで見たことありませんか?

ありゃまぁ、「日本一のホラ吹き男」で草笛光子さんが住んでいたマンションではないですか。
壁に十字型の模様があるのも同じです。




「日本一のホラ吹き男」で草笛光子さんが住んでいたマンションは、
新宿区大京町にあった「エンパイアコープ」。
「日本一のホラ吹き男」では外装と玄関先まではうつりますが、
そのあとの居住棟まで「エンパイアコープ」内でロケーション撮影したのかは存じません。
とにかく、「日本一のゴマすり男」病院内部と
「日本一のホラ吹き男」マンション内部は同じロケ地です。
(まさか同じスタジオセットではありませんよね)



後藤又之助の病室シーン…。
「エンパイアコープ」でのロケだったとしたら、上から二つ目の場面で
中等が病院フロア内に入ってきたように装い出てくる部屋で、
マンションの集会場みたいな部屋だったのではないかと勝手に推理してます。




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「日本一のゴマすり男」目高邸ロケ地から見える二子玉川園




 

5月21日に出た「東宝 昭和の爆笑喜劇 DVDマガジンVol.4 日本一のゴマすり男」で、
目高邸ロケ地は上野毛の五島美術館だと明かされています。
(荻窪東宝さんが、すでにこの以前に発見済みでした)



庭先から、当時の二子玉川園が見下ろせるのでわかります。



二子玉川園は1985年(昭和60年)に閉鎖されました。
翌年の地図には「二子玉川園跡」という表示がされています。
この後、ほんの少しの間、ナムコ・ワンダーエッグという施設がありました。




現在、高層マンションが建っているあたりです。




中等(植木等)が引っ越しのご挨拶に伺った場面にうつっている門は、
五島美術館の不老門ではないかと思います。

映画の中で「目高パーティー」を主宰する目高重役は、当時、日高パーティーを主宰していた
日高孝次先生がモデルであることは申すまでもありません。


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「日本一のホラ吹き男」ゴルフ場のロケ地を探そう


「ニッポン無責任時代」で北海物産石狩社長(由利徹)を接待したゴルフ場





「日本一のホラ吹き男」に登場するゴルフ場も同じところだと思っていました。
ところが手すりの形が少し異なります。

さらには「日本一のホラ吹き男」のゴルフ場は近くに建物が見えます。




「ニッポン無責任時代」のゴルフ場は、由利徹さんの背後に伊東カントリークラブの文字。

では、「日本一のホラ吹き男」のゴルフ場はどこでしょう?

私、ゴルフはやったことないしゴルフ場は行ったことありません。



だから、おしまい。 はい、さよなら…



と思い、このネタは没にしようと思っていました。

先日の「日本一のゴマすり男」朝のカーチェイス場面のロケ地で、
東京オリンピック開催当時の第三京浜沿いのゴルフ場を探しているうちに、
川崎国際生田緑地ゴルフ場クラブハウスというゴルフ場を見つけました。
元は川崎国際カントリークラブといったそうです。

このゴルフ場のクラブハウスをみて、以前読んだニュースを思い出しました。
川崎市のゴルフ場で、土浦亀城設計のクラブハウスが老朽化し、
保存か建替えか議論されているという話題です。

第三京浜道路って東京オリンピック開催の4日前に、暫定4車線で川崎まで開業したというから、
この川崎国際カントリークラブのクラブハウスもネット検索で見てみました。

「日本一のゴマすり男」に登場するクラブハウスは、
土浦亀城のデザインとはまったく異なる建物で、別のゴルフクラブだったのは既述のとおりです。



下のグーグルアース空撮写真が川崎国際生田緑地ゴルフ場クラブハウス

増田社長(曾我廼家明蝶)が「日本一のホラ吹き男」で休憩したクラブハウスと似ています。

クラブハウスのすぐ下に花壇があるのも同じで、場所は都心から近い川崎市生田。
この川崎国際生田緑地ゴルフ場クラブハウスが、
「日本一のホラ吹き男」のゴルフ場ロケ地ではないかと思うのですが如何でしょう?

なお、このクラブハウスは建替えが決まり、現在、工事中の模様です。

(↓)川崎市のサイト
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12005 川崎国際生田緑地ゴルフ場クラブハウス

http://www.city.kawasaki.jp/500/page/0000040353.html
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「日本一のゴマすり男」目高邸へのドライブコース、ロケ地を走ろう





(1)♪ ある日~ 采女橋(うねめばし) 眉子さんに出会った 

 上野毛の目高重役のお宅に呼ばれていると伝えると、クルマで送ってくれるという。 
 現在の JJK会館のちょっと先から銀座東急ホテル(現在の時事通信)方向へ向けてスタート。

 この映画が公開された時、浜美枝さんは前田敦子さん(元AKB)と同じ21歳。
 スゴクろうたけていますよね。

(マイクロソフトさん、IMEに「采女」「臈長けた」くらい単語登録してくだされや)

 



(2)首都高速環状線、常盤橋あたりを走行中。
 左側が日本ビル。その隣に東京中央電信局が見えます。
 東京中央電信局のことは、麻布田能久さんが「産経会館(東京サンケイビル)」で説明しています。
 現在のアーバンネット大手町ビルの場所にあったらしい。
 そのとなりは、逓信博物館と東京郵政局(関東郵政局)が入っていた建物になりますか…。
 郵政局の建物は取り壊してしまいましたな。




(3)竹橋の横を走ります。クレーンが見えるところはパレスサイドビル工事現場と見ました。




(4)突然ですが、首都高速新宿線、赤坂見附付近を走ります。
 電波塔はTBS東京放送の電波塔です。




(5)前田外科病院の横を通過します。




(6)この映画が公開された5年後、1970年(昭和45年)当時の航空写真です。
 映画公開時には鹿島建設本社ビルは、まだありません。
 



(7)また、竹橋に戻ります。





(8)首都高速新宿線赤坂見附付近よりさらに先、JR中央線緩行信濃町駅横に進みます。
 右端の建物は、南元町にあった犬養毅邸。
 先日購入した「加藤嶺夫写真全集 昭和の東京1 新宿区」に写真が出ていたので確信出来ました。
 現在、女子学生会館明泉となっています。





(9)大手町北側、鎌倉橋あたりに戻ります。
 当時の日本経済新聞社ビルがうつります。




(10)1970年(昭和45年)当時の写真だとこのあたりになります。
 映画が撮影された当時は、まだ日本経済新聞社だけで経団連会館は出来ていません。
 現在は日本経済新聞社も経団連会館も、一区画西側(写真だと右側)に移転しています。





(11)千鳥が淵トンネルに入ります。道順としては竹橋の先になります。





(12)トンネルを抜けると、そこは永田町だった。

 左側に北野アームスの建物がうつった後、この写真の場所に来ます。
 右端にうつっているのは永田町小学校の校舎。
 道順としては(4)(5)に行く、やや手前です。   




(13)南元町の三井住友銀行会館(元は住友銀行会館)横を通過します。
 左端に、デ・ラランデ邸(三島邸)がうつっています。

 以前、このブログ記事に書きました。(↓)
  ★映画「日本一のゴマすり男」に登場するデ・ラランデ邸

 私は三島邸という名前で憶え込んでいるので、
 いまだデ・ラランデ邸だかラ・デデンデ邸だかわかりません。
 (こういうのを「訂正の効かない妄念」というのでしょうか??)



(14)ここは首都高速の赤坂トンネルを抜け南元町に出たばかりのところです。
 右側に見える白っぽい塔は、麹町通り弘済会館ならびのビル屋上にあった不二サッシ広告塔。
 先日ふれた「レッツ・ゴー若大将」の弁慶橋シーンでもチラっと見えます。




(15)赤坂トンネルに続く映像で、建替えられる前のセキスイの建物が左にうつっています。
積水化学四谷寮というのが正しい名前らしい。

さきほどのデ・ラランデ邸より、やや手前になります。
この後、浜美枝さんが演技しながらフォルクスワーゲンの運転も行い、
映画を撮影している自動車と並走するには短か過ぎる距離に思えます。

大体、映画ってカメラは一台で撮影するのでしょ?
仮にフォルクス・ワーゲン後部座席に潜んだカメラと、
撮影用車輛に乗ったカメラと二台いたとしても、相互の連携を取るのは大変だし…
おそらく、幾度か同じ場所を走って撮影しているはず。如何でしょう?
講談社さん、せっかくDVDマガジン出したのだから、そのへんも浜美枝さんに聞いてくだされ。





(16)赤坂見附付近に戻りました。
ホテル・ニュージャパンとTBS電波塔です。
このカットは、まず先ほどの永田町小学校がチラリとうつります。
先ほどはフォルクス・ワーゲン前方から撮影しているのに、ほぼ同じ場所で、
今度は後部座席から撮影しています。
やはり、幾度も同じコースを走って撮影していますよ。 ゼッタイ




(17)この場所は右側にうつる建物のかたちから判明しました。
 次の航空写真をご覧ください。




(18)竹橋の手前、一ツ橋インターチェンジの1970年(昭和45年)の航空写真です。
左下に見える三洋貿易のビルと、その少し先の一階がガソリンスタンドらしいビルがうつります。
三洋貿易のビルは現在は三洋安田ビルという建物になっています。

なお、パレスサイドビル手前の鉄塔が建っている建物は当時の気象庁です。





(19)ところが、突然、渋谷に現れました。
 左側のビルが、山一証券が入っていた名取ビル
 映画ではうつりませんが、右側が渋谷警察署です。




(20)渋谷のフランセがちょっとうつった後、外壁を改装する前の東急プラザがうつり、
フォルクス・ワーゲンは世田谷区上野毛方向へ向かうのでした。

冒頭の采女橋での会話で、日曜日だと語っていますが、日曜日に撮影をしたにしても、
当時の高速三号渋谷線って空いていたのですね。

この後、向かう目高邸のロケ地は「荻窪東宝」さんが近日公開してくれると仄聞してましたが、
本日発売の講談社「東宝 昭和の爆笑喜劇DVDマガジン」VOL.4「日本一のゴマすり男」に、
「上野毛の気になるお屋敷」なる題名で暴露されています。

「上野毛の気になるお屋敷」には「岡本3丁目界隈」とか「荻窪東宝」サイトでしか見聞できない箇所も…。
「上野毛の気になるお屋敷」を書いた人物は、さきほどの「加藤嶺夫写真全集 昭和の東京1 新宿区」監修者の一人でもあります。
「加藤嶺夫写真全集 昭和の東京1 新宿区」の犬養毅邸説明に「昭和12年建築」とあるけど、
犬養毅が暗殺された五・一五事件は昭和7年です。勘定合わなくないですかい?




渋谷の場面では、この高速道路を六本木方向(写真上方)から走ってきました。

























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「日本一のゴマすり男」サカナ釣りロケ地の秘密…


趣味が釣りの山根係長と一緒に釣りに出かけた中等(なかひとし)、
帰りがけにアジの開きを買い求めます。

 



この海岸、いくらなんでも波がおだやか過ぎませんか?




帰りの電車で、週刊現代を読む山根係長に中等が話しかける車内場面の後、
走り去っていく電車が映りますが「三島・修善寺」らしき文字。
「三島・修善寺」って伊豆箱根鉄道でしょ?
伊豆急行なら海沿いを走るけど、伊豆箱根鉄道は伊豆半島の山中を走りますよね。
アジの開きでコロっと騙されたけど、このロケ現場は海ではなく湖ではありませんかい?

そうなると、いったいどこの湖でしょう?

この映画冒頭、富士急のバスが出てくる帰省シーンがあります。
つまり山梨県でのロケーション撮影。同じ日に、富士五湖のどこかの湖に寄って、
このサカナ釣りシーンを撮影したのではないでしょうか?

ジョージ箱田が宿泊するホテルが東京プリンスホテルなど、プリンスホテル(当時の国土計画?)の撮影協力あるいはタイアップを受けていたため、西武系列の伊豆箱根鉄道の車体を撮影し使用し差しこんだのかな。




富士五湖のうち、富士急沿線でいちばん近い湖というと河口湖ですよね。
河口湖に、こんな風景のところがあるかご存知の方は教えてください。



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