さえらさん(失礼しました。かおるんさんでした)から拍手コメントをいただきました。
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由紀さおりさんの動画を見つけてくださってありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ 全くうつってませんけど、ギターよく聞こえてるじゃないですか?これがお二人が奏でた音色だと思うと特別に聞こえます。(アルフィーバカ) 以前から気になってたんですが、高見沢さんて、本名は高見澤さんなんですか?
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世良譲のピアノ弾き語りは、当時TBSの「サウンドインS」などで有名だったので、NHKとしては、紅白歌合戦に入れたかったのでしょうね。
しかし、伊勢正三に「つかの間の雨」をギター演奏させ、世良譲にピアノを弾かせるわけにもいかず、ギターは由紀さおりと同じ田辺エージェンシーのアルフィー。でも3人はいらないということになってしまったのでしょう。
高見沢俊彦からの年賀はがきは、いずれも「高見沢俊彦」名でもらっていますが、いまだに未公開の封書は「高見澤俊彦」という署名になっています。
戸籍上の本名は「高見澤俊彦」だと思います。
「衝撃スクープ!! 高見沢俊彦 喀血事件 (映画「風立ちぬ」コラボ)結末編」で引用したサンケイスポーツのお父さんの訃報記事で「高見沢俊彦(53)の父で先月28日に老衰のため亡くなった元中学教師の高見澤榮さん(享年93)」となっています。
いわば芸名が「高見沢俊彦」で本名が「高見澤俊彦」という位置づけです。
昨年末のNHK紅白歌合戦で、美輪明宏が歌う曲は「愛の賛歌」と事前に報道されながら、当日テレビ欄では「愛の讃歌」と表記したのに気付いた方も多いはず。
マスコミには新聞用字用語というルールがあり「高嶺の花」を「高根の花」などと書きます。
「讃歌」「礼讃」もゴンベンは付けないのが記事における原則です。
由紀さおり「つかの間の雨」の第27回NHK紅白歌合戦は1976年大晦日の放送。
この写真の1年後だったのは、
前回のブログ記事で判明したとおりです。
1976年大晦日から1977年元日にかけては、皆で伊豆に初日の出を見に行きました。
場所はMクン(写真中央)のお父さん所有の別荘。
おそらく、この別荘に大晦日のうちに行き、みんなでアルフィーが出るという紅白歌合戦を見たはずです。
MクンはD組のSクン(写真右)が進学先の大学で知り合ったバンド仲間。
同じ大学ながら学部は違い、藤沢と鎌倉に住んでいた湘南つながりで知り合った様子。
MクンとD組のSクンのバンドのコンサートにも当時から幾度か行きました。
当時はライブハウスなどというものはほとんどなく、いくつかのバンドがジョイントして公会堂などを借りて演奏していました。
湘南在住の青山学院大学のバンドと一緒にライブをしたりしていましたが、このバンドの男性ボーカルが茅ヶ崎の映画館の息子で桑田という、やたら自己顕示欲が強く、ほかのバンドが演奏している最中に手拍子しながらステージに上がって来たりする人物でした。
Mクン曰く、D組のSクンとこの青山学院大学のバンドの女性キーボード原さんは、二人ともキーボード担当ということで大変仲良しだったそうです。
MクンとD組のSクンは、いまだにアマチュアでコンサートを開いています。
おそらく、高見沢ともサザンともいまだに連絡を取り合っているはずですが、オイラには教えてくれません。
プンスカ
[20回]
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