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拍手コメントで尋ねられたまま返答していない質問もずいぶん溜まっているので「高見沢俊彦と高校で一緒だったけど、なにか質問ある?」コーナーでもやろうかと思っていました。
今回は、その第一弾です。
「私は先月30年振りにライブに行ってまいりました。声や中身はともかく、高見沢さんの毛艶にびっくりいたしました。正直、散らかり放題でもおかしくない世代(失礼)だと思うのですが。事あるごとにお母さんが髪が綺麗だとおっしゃってますが、TOKUさまは高見沢さんのご両親にお会いになったことはありますか?」
会ったことありません。
夏に「世界一受けたい授業」というテレビ番組に出ていた高見沢が、お母さんに電話すると「髪切った?」といまだに言われるといっていたから、お母さんは今もお元気のようですね。
お父さん高見沢榮さんは2007年に93歳でなくなっているから、今もお元気なら今年百歳。
このブログ、「高見沢榮」をキーワードにして検索したアクセスも結構あります。教え子の方なのでしょうか?
少し年の離れたお兄さんがいて、某光学機器メーカーの財務部長だと十年くらい前にアルフィー・ファン(アル中さん)の方から聞いたことがあります。
お父さんの高見沢榮先生は、1973年(昭和48年)3月23日の朝日新聞東京夕刊11面(三面記事)に「卒業アルバムに載らぬ卒業生 特殊学級だけ“差別” 北区の赤羽中」という見出しで、生徒一緒に写っている卒業アルバムの写真が掲載されています。
図書館へ行って朝日新聞の過去記事データベース聞蔵で検索すると読めます。
当時ワタシがたまたま気付いただけで、この記事のことを高見沢と話したことはありません。
3月23日は、すでに高校の卒業式が終わって10日経っています。
E組のS君に、あれ高見沢のお父さんのことだろと尋ねたら、なんでそんなこと知ってるんだよと言いい、中学の従来からの慣行通りにしたのに校長に責任があるような記事を掲載したので訂正記事を載せると朝日新聞は言ってきたけど、お父さんはそれを断り辞職するらしいと言っていました。
2006年12月17日の朝日新聞朝刊掲載「おやじのせなか」で、高見沢俊彦はお父さんは中学の先生を定年まで勤めたと語っているので、結局この時、辞職は思いとどまったらしい。
そりゃそうだよね。3月23日というと、すでに公立小中学校の先生は異動の内示が済み、三学期が終わったら4月からの人事異動が発令され、引き継ぎ済ませて転任先に赴き一週間も経たないうちに新入生迎え入れる一番忙しい時期ですもの。校長先生が辞職したら、かえって迷惑がかかってしまいます。
今から41年前の出来事ですから、高見沢榮先生59歳の年のニュース。お誕生日がいつか存じませんが、60歳を迎えた年度で定年退職されたはず。ちょうどアルフィーがデビューした頃のお話でした・・・。
朝日新聞はケシカランと思うヒトも朝日新聞ファンのヒトも、アルフィーファンのヒトも通りがかりのヒトも拍手してね。
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