昭和37年(1962年)1月28日に公開された東宝映画「その場所に女ありて」。
数寄屋橋交差点の横断歩道を、銀座東芝ビル(マツダビルディング)側から渡ってくる場面から始まります。
この映画、かなりシリアスなサラリーマンもの映画です。
半年後、同じ年の7月29日に公開された「ニッポン無責任時代」で、植木等さんに同じ横断歩道を渡ってもらうと・・・逆立ちしてしまうのでした。
司葉子さんの同僚役で歩きタバコしながら歩いていたのは、後にウルトラマンを演じた古谷敏さんですよね。昭和18年生まれだから撮影当時は、まだ未成年者でした。
今は喫煙シーンを撮影したら大問題になりかねません。
もっとも、歩きタバコ自体もロケーション撮影がムズカシイでしょうけれど・・・。
余談ながら、昭和37年当時、朝日新聞の英字表記は「ASAHI SHIMBUN」だったのですね。
せっかくだから、司葉子さんのお勤め先、西銀広告にもお邪魔しましょう。
児玉清さんが、柱にラーメン丼柄みたいな模様がある建物横に立っています。
中央にうつっている建物が、映画に出てくる「西銀広告」社屋です。
西銀広告並び右側の喫茶店から出てきた森光子さん。
森光子さんが児玉清さんと一緒に歩いて行く先には、東宝怪獣映画の聖地、森永の地球儀広告塔があった不二越ビル(
東京都中央区銀座5-5-4)が見えます。
このラーメン丼柄の模様があった建物は、銀座東邦生命ビル(
東京都中央区銀座3-3-1)。
現在は取り壊され、ZOE銀座という建物になっています。
下の写真は「震災復興<大銀座>の街並みから」(銀座文化研究 別冊)より
会議室内はスタジオセット撮影だと思いますが、西銀広告の前に銀座東邦生命ビルがある設定になっています。
横に住友銀行のロゴと思われる看板がありますが、この映画の頃は第一勧銀ではなく住友銀行が銀座東邦生命ビルに入っていたのでしょうか?
昭和48年の地図をみると、西銀広告本社の場所は三幸ビルとなっていて、その一階に第一勧銀が入っていますが、昭和60年の地図では、三幸ビルは第一勧銀ではなく大同信金となっています。その間に金融機関支店テナントが入れ替わったのでしょうか?
下の写真は昭和63年5月15日に、プランタン銀座の連絡通路から撮影したもの。
三幸株式会社の一階テナントは近畿日本ツーリストになっていたのかな。
現在、建物の名前は「SPP銀座ビル」(
東京都中央区銀座2-4-9)となり、一階には
「ZARA 銀座マロニエ通り店」というテナントが入っています。
児玉清さんと森光子さんが歩いて行った場所は、現在、こんな感じです。
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