映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)
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読売新聞のサイトに、こんな記事が載っていました。
「黒部の太陽」主役モデル ダム50年感慨新た
http://www.yomiuri.co.jp/otona/news/20130529-OYT8T00405.htm?cx_thumbnail=07&from=yolsp
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「黒部の太陽」のロケ地はどこかと思ったら、黒部ダムではなく愛知県豊川市だったそうです。
http://blogs.yahoo.co.jp/ikik3636/32718116.html
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昭和40年代TBSラジオでヘリコプター交通情報を担当していた木村栄一郎さんという方がいました。
ヘリコプター交通情報というのは、東京上空をヘリコプターで飛びながら道路の混雑状況を伝えるコーナーです。
この方は、黒部ダム建設工事に関わったヘリコプター操縦士。
1971年国際航空宇宙ショー記念懸賞作文「ヒコーキと私」で、木村さんの「雪嶺のかなたに」が特選に選ばれました。
昭和32年2月4日夜、信濃大町の建設事務所所長から、ダム工事現場で重傷者が出た、出血多量でニ三時間しか持たない、なんとか飛んでもらえないなと頼まれる。
先輩操縦士の宮台さんが行こうというのを止め、羽田にフライトプランを入れる。
宮台さんは冬場夜間の北アルプス飛行など管制官が認めるはずないと言ったが、事情を聞いた管制官は「わかりました。気をつけて行ってください」と許可を出した。
雲とガスの中、ヘリコプターで飛んでいくと峡谷の壁面が赤々と燃えていた。
ふもとから救助のヘリコプターが飛んでくると連絡を受けた工事現場の人たちが、夜間着陸出来るよう何十本もの松明を持ち雪山の中で待っていたという話。
「雪嶺のかなたに」は出版もされました。
ねんのため申しますと、この当時の民間ヘリコプターは操縦席が金魚鉢のベルC47。
映画「マッシュ」の冒頭場面のように、負傷者搬送は操縦席外部に担架を縛り付けて行ったはずです。
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