ロケ地ではありませんが、建物の写真がうつる高取社長(由利徹)の大東生命ビル。
日比谷公園横、帝国ホテルの隣にあった大和生命ビル。
光等(植木等)が高取社長と商談を進めるスタジオ撮影でも、建物の写真が壁に架かっています。
東宝本社のすぐ近くなので、東宝社員の団体契約での取引あたりがあったのでしょうか?
きっと、だから大和と東宝で大東なのだと思う・・・。(笑)
下は1970年当時の撮影。大和生命はこの後1984年に大和生命ビルになり、現在はNBF日比谷ビル。
南端(右端)にうつっている1929年建築の日本勧業銀行本店も、その少し前1981年に高層ビルになりました。(現在は、みずほ銀行内幸町本部ビルというらしい)
大和生命と勧業銀行の間にある電電公社の建物は、1960年完成らしいけど、まだありますよね。
大和生命ビル(
NBF日比谷ビル)に「
鹿鳴館跡地」という千代田区のプレートがあるでしょ?
あれがどうも気に懸るのですよ。
下の「明治期の日比谷練兵場周辺地図」は「明治・大正・昭和 東京時空散歩」より。
明治16~17年に造られた地図だそうですが、鹿鳴館の黒門が南端にあります。
ところが明治時代末期の地図をみると、すでに鹿鳴館の黒門があった場所は勧業銀行になっています。
下が、華族会館時代の黒門の写真。
鹿鳴館の建物の位置からして、鹿鳴館南側を勧業銀行に譲った時、
黒門は元々あった南側から、鹿鳴館建物横の日比谷公園に面した西側に移設し、
その場所で、空襲で焼失したと思われます。
日本徴兵保険(大和生命の前身)が1927年に華族会館跡地を買い取った後、
鹿鳴館の建物を保存せよという要望が強く、建物を解体したのは1940年だったそうです。
大和生命と鹿鳴館の建物が一緒にうつっている絵葉書を紹介しているブログがあります。
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「古絵葉書・日比谷上空(旧鹿鳴館がちょっとだけ写ってます)」鹿鳴館の建物本体があった場所は、NBF日比谷ビルではなく南隣のNTTビルになると思います。
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