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東京「あの場所は?」秘宝館

映画やテレビのロケ地、取り壊された建物、あの場所には何があったか、誰も価値を見出さないお宝グッズなどを紹介します。★拍手コメントはブログ管理人TOKUSABUROは拝見出来ますが、お返事が出来ません。なるべく記事下のコメント欄(CM)をご利用ください。匿名、URLなしでもコメント出来ます。(TOKUSABURO宛メールは、メールフォーム欄から送信してください)

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「日本一のホラ吹き男」西武園ゆうえんち・謎のボート場面

 
西武園ゆうえんちボート

かなり有名な話なのでご存知の方も多いかと思います。

このボート、右側が舳先です。当然、右方向へ進みます。

ところが、浜美枝さんが舳先の方向を向いてボートを漕いでいます。

ボートって、進む方向に背を向けて漕ぐのが普通でしょ?

浜美枝さんも、この撮影の時、逆じゃないかと古澤憲吾監督に申し出たものの、これでイイと押し切られたそうです。

映画を見ていてもロープが見えますが、右方向からロープで引っ張っています。

なんで、こういう演出をしたのかは誰もわかりません。
植木等さんにボートを漕がせず、女性の浜美枝さんにわざわざオールを持たせたことも含めて、古澤憲吾監督には何らかの思惑があったのでしょうか?



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壬生篤 「昭和の東京地図歩き」

今朝の朝日新聞「第2東京」面に記事が出ていました。

昭和の東京地図歩き

内容紹介

1964年の東京オリンピック開催の前後を中心に、東京の街の昔を懐古する一冊です。当時の新宿・渋谷・銀座・六本木・赤坂・原宿・吉祥寺・浅草・向島などのマップや写真を現在と対比しながら「時間旅行」が楽しめます。団塊世代をはじめ、昭和生まれの人たちの郷愁をさそう写真も多数収録しております。


内容(「BOOK」データベースより)

昭和30年代末の写真と地図で、東京をタイムトリップする。“昭和の息づかい”が地図とともに蘇る。


著者について

東京生まれ。東京都立大学卒。元『荷風! 』編集長。現在は時間旅行社代表。江戸・東京の歴史案内・文芸評などを専門とし、執筆、編集を手がける。編著書に『TOWN MOOK文豪・永井荷風 人生の旅路』などがある。


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

壬生/篤
 東京生まれ。東京都立大学卒。漫画雑誌編集者を経て雑誌『荷風!』(日本文芸社)編集長を務める。現在は時間旅行社代表。江戸・東京の歴史案内・文芸評などを専門とし、その執筆、編集を手掛ける(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

目次

第1章 東京駅と丸の内界隈
第2章 新宿―「角筈」界隈“今昔”
第3章 銀座―その東京五輪の頃…
第4章 六本木―その歴史は繰り返す
第5章 赤坂―その昭和30年代探訪
第6章 原宿―東京五輪が造った街
第7章 渋谷―大変貌しつつあるこの町の過去
第8章 吉祥寺―その賑わいは、どこから?
第9章 浅草―“六区興行街”盛衰記
第10章 向島・押上―北十間川を旅する





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「ニッポン無責任時代」弁慶濠・元赤坂ドライブコース

外堀通 元赤坂 弁慶濠

「ニッポン無責任時代」横浜プリンスホテルでの藤山陽子のお見合いを、石橋エータローに身代りさせ見事ぶち壊した植木等と重山規子が、藤山陽子と峰岸徹を乗せ自動車で走り抜ける場面。

この場所は、どこでしょう?

外堀通 元赤坂 弁慶濠

この後、前方左側に白いビルディングが登場するのでわかりました。

まだ高速道路が出来る前の弁慶濠横を元赤坂から赤坂見附方向へ走っています。

右の煙突が立っている建物が、前田外科病院。

前方、やや左にみえる大きな屋根は、衆議院議長公邸になります。

前方左側の白いビルディングは建替える前の都道府県会館。
赤坂プリンスホテルも、ちょこっと見えます。

グーグルのストリートビューで現在の風景を再現しようと思いましたが、赤坂方向への走行は高速道路の上を走ってしまうので、反対車線の画像をピックアップしました。

この反対車線も、前田外科病院へもう少し近づきたかったのですが、黄色いラインを見るとおわかりの通り、これ以上進むと外堀通りから右へ入ってしまいます。

なお、この道は「日本一のゴマすり男」冒頭、植木等さんと二瓶正也さんのカーチェイスでも使われます。パトカーが追跡し出すのは、赤坂プリンスホテルプールと都道府県会館の間、諏訪坂からです。

「日本一のゴマすり男」は、5月21日発売予定の「東宝 昭和の爆笑喜劇DVDマガジン6/4号」に収められています。

余談:二瓶正也さんは、この道の先、永田町の生まれ。現在はご自宅で貸しビル業を営んでいます。








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「ニッポン無責任時代」に出てくる昭和印刷

 



ニッポン無責任時代「昭和印刷」

荻窪東宝さんが「聖地巡礼」で取り上げている通り、山手線の渋谷駅と恵比寿駅の間に架かる猿楽橋のたもとです。

向こうに見える建物の屋根に「大原簿記学校」の看板。…だけど、なんで大原簿記学校なのに「週刊大衆」なのでしょう?

ここは昭和印刷という印刷工場だったのです。おそらく、印刷の仕事を発注してくれるお得意先の看板広告を掲げていたのでしょうね。

昭和印刷は昭和の終わり頃までありましたが、その後、この一帯ごと区画整理され現在は渋谷清掃工場が建っています。

昭和印刷跡地 渋谷清掃工場


ところで、東京都23区には清掃工場が幾つあるでしょう?

現在、建替工事で2つが休止していますが、21の清掃工場があります。

 ★東京23区の清掃工場一覧

大田区、世田谷区、江東区、練馬区の4区には2つの清掃工場があり、千代田区、新宿区、文京区、台東区、荒川区、中野区の6区には清掃工場はありません。

各区にそれぞれ清掃工場を作る計画だったのですが、リサイクル化などでゴミの量が減り、中野区に予定していた清掃工場の建設が中止になって以降、清掃工場の建設はストップしているようです。









 

 

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「ニッポン無責任時代」太平洋酒のモデルはどこの会社?



「東宝 昭和の爆笑喜劇DVDマガジン VOL.1」でも参考文献に列挙している「クレージー映画大全」(フィルムアート社 1997年)は、大変すばらしい本です。

 絶版になっていてamazonのマーケットプレイスでも倍以上の値がついていますが、ぜひ復刊していただきたいものです。

しかしながら、どうしても一点気にかかることがあります。
 32ページ。「ニッポン無責任時代」のタイアップ先がサッポロビールとなっている点です。
 

この映画、ビヤホールは「ASAHI BEER HALL」の文字が見えるし、ジョッキも当時の朝日麦酒のロゴマーク。

なぜか、ビール瓶は皆ラベルを隠して撮影していますが、黒田社長歓迎宴にはバヤリースオレンジ、三矢サイダーといった朝日麦酒の製品が並んでいます。


洋酒メーカー寿屋は、この映画の翌年昭和38年に映画の中の太平洋酒と同様にビールにも進出し、その際、社名も寿屋からサントリーへ改めます。

松任谷由実「中央フリーウェイ」の♪左はビール工場=サントリー武蔵野ビール工場は、この時に出来ました。

寿屋のビール業界進出を手助けしたのは、朝日麦酒山本為三郎社長でした。
この後のクレージーキャッツ映画の小道具でも、堂々とラベルを映して朝日麦酒が使われますし、昭和40年にはクレージーキャッツがサントリービールのテレビCMにも出演しています。

 では「ニッポン無責任時代」のタイアップ先は、日本麦酒(当時のサッポロビール)ではなく朝日麦酒だったのでしょうか?
 
…いくら、朝日麦酒の山本為三郎社長が寿屋のビール業界進出を助けても、朝日麦酒がタイアップした東宝映画で、無料で寿屋の宣伝をすることは株主に対して説明がつかないでしょう。

おそらく、資金面でのタイアップは寿屋。そして、映画の中で麦酒などの飲料は朝日麦酒の製品を使った。しかし、翌年からビール販売で競合する予定の瓶ビールだけはラベルを隠して撮影したのではないかと思います。
 

昭和37年5月31日付の新聞広告です。
映画「ニッポン無責任時代」が公開されたのは、この年7月。
映画の中で、ビール発売に踏み切る太平洋酒は「寿屋」がモデルになっていることは間違いないと思います。


 ★ 山本為三郎   webcache.googleusercontent.com







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